午後、6畳の部屋は薄暗く、僕はソファに本を置く

本ブログはフィクションですが、一部隠し切れない真実を含みます。

暇を持て余した、男1人の遊び

ある日、僕は暇を持て余していた。
妻は外出をして家におらず、予定もなく、大したやる気もなかった。しかし、休みを寝てすごすのはもったいなさすぎるというぼんやりとした概念だけが宙空に漂っており、僕はそれを潰すようにぽちぽちとコントローラーのボタンを押していた。
無駄に大きいプラズマテレビの画面は、全くその性能を活かすことなく、数年以上前のマジックザギャザリングのゲームを表示していた。
オンラインをするにももうプレイヤーがいなくなってしまったので 、CPUとの予定調和なつまらないやり取りをしているだけだ。CPUのドレイクトークンが必死に攻撃をしかけてくるが、盤面に濃霧の壁がある限り、僕に攻撃は通らない。無意味な攻撃のアニメーションを見ていると海底の底から上を見上げてポコポコと泡を吐いているような途方も無い気持ちになった。

僕はコントローラを置いて、ソファに横になった。

何か大それたことを考えよう。

楽しくなくてもいい。とにかく大それた状況に自分が置かれたとしてそこからどうやってそれを解決するのか想像してみよう。

と、すると、よくない状況の方がいいのではないだろうか。
いつか、なんかの漫画家が「物語は考えうる限り最も悪い状況に展開させています」と語っていた。その方が読者としては面白いことになるらしい 。

では考えてみよう。今この状況で最も悪い展開は何か。

 

このまま、妻が帰ってくるまで暇で、気付いたら寝てしまっていることだ。

 

「まずいっ」
僕は上半身を起こした。
これは臭うぞ。
そうなる予感がする。何かしなければ。

僕は部屋の中を見渡した。
音はない。いつも通り整頓された、可も不可もない状態だ。

掃除?

家事をすれば帰ってきた妻は喜ぶかもしれない。
手の込んだ晩御飯を作ってみてはどうだろうか。

僕は立ち上がって冷蔵庫を開いた。半分になったたまねぎとビール 、その他適当な食材が並んでいた。僕はすぐに冷蔵庫を閉じて思い出した。

違うのだ。僕はやる気がないのだ。
食事を用意するというような意識の高い大人ではない。
今の僕においてはそれさえもハードルが高い。ましてや妻の機嫌をとろうなど、聖人の考えだ。食事を作るくらいなら空腹で死んだ方がまし、とまで言える心持ちのはずだ。

 

また僕はソファに横になった。

いや、違う。僕は確かにやる気はないが、それほどやさぐれた気持ちではなかったはず。とにかくやるべきことが見つかればそれに集中できるはずだ。

何かを考えてみよう。


例えばこの状況でゾンビパンデミックが起きたら僕はどうするだろう。
まずは妻に電話をする。携帯はつながるだろうか。妻と連絡が取れたなら妻を迎えに行こう。道中なにかあってはいけないので武器が必要だ。包丁はだめだ。リーチが短いし、柔らかい腹部を刺してもゾンビには効かない。しかし、見た目が与える印象はかなり強い。包丁を持って街を歩くと正常者から無意味な攻撃や警戒を受ける可能性がある。できればゾンビの脳幹にダメージを与えられるもので、かつ、見た目の印象が悪くないものがいい。バールか?しかし 、うちにはない。思えばうちに武器らしい武器はない。
と、すると、できるだけ不慮の事故が起こらないように防御を固めて、足早に逃げてしまえばいいのではないか。冬服を着込んでサバゲーで使ったフェイスマスクを使おう。フェイスマスクが自然か否かはこの際問題ではない。
と、いうか設定が甘くないか?僕はこの状況でどうやってゾンビパンデミックに気付くんだ?隣の家の人がわかりやすく暴れだしたりとかそういうことだろうか。
だとすると僕は妻より先に警察に連絡する。
と、いうかパンデミックなんか起きなくないか。噛まれることで感染するんだろう?感染スピードが遅すぎる。同時多発的に各地で起きる理由がない。ちょっとしたパニックになったとしても情報化社会の現代ではすぐに鎮圧されてしまうだろう。
だめだ。現実的じゃなさ過ぎる。まったくつまならない。

 

僕は目を閉じた。

僕を最悪の状況に巻き込むとするなら。

奇想天外である方がいい。僕がまだ知らない未知の出来事を。

 

スナイパーはどうだろう。

僕はこの部屋で寝転んでいるが実はスナイパーに狙われている。現実的ではない。しかし、それに重みを持たせるためには?

おそらく病気だ。僕は精神的におかしくなってしまっているのだ。空想上のスナイパーを怖がって引きこもってしまったのだ。

この設定、何か面白みはあるのか?例えば映画であればどうする?ここからどう転ばせたら面白くなる?おそらく視聴者は早い段階で主人公の病気を想定するだろう。一般人がスナイパーに命を狙われるのは現実的ではないからだ。だとすると、何かどうしようもない設定を盛り込むか?マフィアの金を持ち逃げしたとか、革命家であるとか、だろうか。

 

「違う」

こういう設定とかメタい話ではない。僕は最初から設定を設定であることを忘れて、その世界に入り込んで最悪の状況を乗り越えたいのだ。

未知の出来事は難しい。設定を練らなければいけないので物語の扉の先で一登場人物になりきることができない。

 

僕は目を閉じたまま深く呼吸をした。

いい。もういい。綺麗な景色を思い浮かべよう。僕が美しいと思うものは何か?星が浮かんだ夜空だ。多分、空気は冷たい。おそらく凍えるほどに。だけど僕はそれを心地よく感じている。そうか、ぼくはかなりの防寒をしているのだろう。そう、長い距離を歩いてここにたどり着いた。火照った顔を夜風で冷ましている。そして、厚い雪の層の上に倒れこんで、空を見上げているのだ。

吐く息がシャリシャリと微かな音を立てて地に落ちていく。

そんな経験したことがない。南極なのか北極なのか、ここがどこかは知らないが、多分それに近しい地の果てのどこかだ。

もしかしたら死ぬのかもしれない。だけど嫌な気はしない。達成感が心を満たしている。

力が抜けている。おそらくこの人生の中で1番リラックスしている。

星空がこんなにも綺麗だと思ったのはいつぶりだろうか。小さい頃に家族で行ったどこかの高い山から見た星も綺麗だった。

だけど違う。

僕にとって1番綺麗だと感じた夜空は雪が降った後の東京の夜だ。

あの頃はまだ貧乏でプレッシャーから押しつぶされそうで、誰も味方がいなくて、地元から一緒に上京したあの子だけが僕を信じてくれていた。

まだ誰も歩いていない雪道を2人で手を繋いで歩いた。あの時の星はどんよりとしていてお世辞にも美しいとは言えないけれども確かに輝いていた。

あの子は元気にしているだろうか。

気が強くて料理が下手な子だった。

だけど1番辛かったあの時期を彼女は確かに導いてくれていた。本当に心が繋がることができた女性はあの子だけかもしれない。

あの子には酷いことをしてしまった。

成功に浮かれていたんだ。

独りよがりのナルシズムではあるのかも知れないが、あの子が今、幸せでいるか心残りだ。

だけどもう、それを知ることは今の僕には出来ない。

そうだ。もしもあの時、僕があの子と別れていなかったら何をしているだろうか。その先をイメージしてみよう。

きっと日本にいて、地元に帰って似合わないスーツを着てサラリーマンなんかをしている。おそらく尻に敷かれて財布の中身まで管理されているんだろう。

子供はいるだろうか。わからない。居てくれたら楽しいが。ただ、まぁそうじゃなくてもきっと楽しく過ごしているだろう。

そうだ。あの子と過ごしていたかも知れない未来を物語にしてみよう。夢に敗れたサラリーマンの僕があの子と過ごす何気ない毎日を綴るブログにしよう。もしかしたらあの子が読むかも知れない。

タイトルに本を絡めよう。あの子は気付くだろうか。あの瞬間を思い出してくれるだろうか。

僕が本を読んでいるとあの子がいつも部屋の蛍光灯をつけてくれた。僕は気づかなかったんだ。夕方を過ぎて、薄暗い部屋に。それほど読書に集中していた。

あの子が僕に声をかけて、やっと時間が動き出す感じ。あれを書いてみよう。

妻にバレないように、僕は想像の中でもう一つの結婚生活をおくろう。ブログを書いている時だけは設定であることを忘れて、一庶民として、物語の中の主人公として生きよう。

そのブログのタイトルは「午後、6畳の部屋は薄暗く、僕はソファに本を置く」にしよう。

 

「寝てるの?」

気づくと妻が帰ってきていた。僕はソファで寝てしまっていたようだ。

「ちょっと待って。悪いけど今話しかけないでもらえるかな」

僕は慌ててスマホを探した。

さっき夢うつつの中で見たものをとにかく文字にして残したい。とっても面白いアイディアだ。後から見直したら別にそうでもないのかも知れないが、現時点ではかなりの手応えを感じた。

 

現実を自分が考えた設定であると思い込んでしまう男の話。

 

「は?何その言い方」

妻が怒っていた。やらかした。

「あーごめん。今面白い事考えたから記録しておきたかったの。すごくややこしい話だからどうすればいいか結びを練りたくて」

「いや、意味わかんないし」

「うん、ごめん」

妻は肩を竦めて、まるで外国人がするような大げさなジェスチャーをした。もうこの話はおしまい、という意味だ。

そう、もうこの話は終わりだ。

何が事実か、曖昧なまま終わらせてしまおう。

意味がわからない?

なら、ヒントをあげよう。

意味などない。これは遊びだ。