午後、6畳の部屋は薄暗く、僕はソファに本を置く

本ブログはフィクションですが、一部隠し切れない真実を含みます。

ハゲることについて僕たちが学ばなければならない事

タンポポの綿毛を想像して欲しい。

まだ風に吹かれていない、ふっわふわの白くて丸いあれだ。

それを人の頭ほどの大きさに拡大して欲しい。


準備出来次第、次は嫌いな人のことを思い浮かべて欲しい。

そいつの顔、声、言動、むかついたこと、それらに踏みにじられた自分自身を思い出して欲しい。

そしてその流れで、大きな、それは大きなため息をついて欲しい。


するとどうだろう。目の前のタンポポの2/3ほどの綿毛が花弁からはずれてふわり、ふわりと流されていったことと思う。


次に右を見て欲しい。

特に何もないかもしれないがとりあえずそれでいい。

左側から誰かに名前を呼ばれて欲しい。

もちろんそちらに顔を向けると思うので右から左に振り向くまでに唇を尖らせて一息に息を吹いて欲しい。

大丈夫だ。準備する必要はない。特に意識しない状態で、肺の中にあった息を細く吹き出してもらえばよい。

すると、タンポポはほぼ丸裸になっているのではないだろうか。


色味やつくりの違いはあると思うが、完成したそれこそが僕の父の頭髪のシルエットである。


以前も言及したことがあるが、僕の父は薄毛である。

が、つるつるではなく、タンポポの綿毛程の細く、繊細な毛が、空気を多く含んだような状態でファッサッと頭に乗っているイメージで、本人としてはスプレーなどの文明の利器を用いて一応の形を作るため、体裁自体は整えている様な雰囲気を出すのだが、中身はほぼ空気のみで構成されていることが一目両全であるため、先に骨組みだけを組み立てた従来工法の民家がそのまま20年放置されて野ざらしになったような寂しさを漂わせている。


僕が父を父として認識した時から多少の密度の違いはあれど、だいたいそのままで現在に至っている。


小さい頃に見ていた彼の朝の準備の様子は5~10本ほどの毛束をまとめては組み立て、一定の盛り上がりを作るような綿密な作業であったため、本人としても自覚があり、コンプレックスは感じているものと思うが、あのぐらいの年代のおっさんは無駄にイキってくるのでまるで自分がハゲていないようなオーラで他人の頭髪の状況にコメントしてくることがある。


「あのハゲ方はやばいな」

お前もな、待ちであってほしいが隣の父を見ると、警察官を退職後に私立探偵を始めた老齢の紳士のような顔で、他人の毛穴の死亡を確認しようとしているので、人間というのは自身の願望で簡単に認知が歪むものなんだなぁと気づかされる。

僕以外の人前でこれに類する発言をしないように父には強く言い置いている。


さて、ハゲ方にはいくつかのパターンがあるように思う。前から強く風に吹かれるか、上から滝に打たれるか、男性型薄毛の場合は大体そんなものじゃないだろうか。

その中からさらに残った木々の太さと生えている間隔がどうかというような問題がある。


我が父の遺伝子の場合、前から吹かれ、木は細く疎らである。

自ら率先してハゲたいとは思わないが、どうせハゲるならこの方が助かる。

前にも書いたが僕はハゲたら髷(マゲ)を結うつもりなので都合がいいし、下手に残った毛が元気だと残念で仕方ないからだ。というか元気な場合、心残りが酷くて横髪を伸ばして上に被せるかも知れない。ああ、そうか。こうしてバーコード型が生まれるのか。


僕と父は一時期、毎日一緒に飲み歩いていたので、その中で何度か髷を結うことを提案したことがある。父によると結うまでの過程で必ず落ち武者時代が発生してしまうことだけが気がかりで、それ以外は案外乗り気だった。もし街で髷を結ったおじさんを見かけた場合、僕の父か、若ければ僕であるの可能性があるのでその時はよろしく伝えてほしい。


髷以外にも父には何度かカツラの着用を提案したことがある。父くらいあからさまにハゲていて、よくそれをネタにもするお茶目な性格なので、周りも案外、「あ、お被りなされ始めたんだ」くらいの反応しかしないと思うからだ。

だが父は、髷の時の好感触と打って変わって全身からミサイルの発射口を開くような戦闘態勢になり、頑なに拒否した。

カツラというワードがまずかったのかも知れない。ならば植毛はどうだろう。


森、というものは自然に木々が生えている様を言うらしい。父のそれはもう遥か太古の時代に森だった場所というだけで今はタンポポが1~2本生えているだけの荒涼とした岩地だ。

林、というのは人間が管理して木々が生えている様を言うらしい。岩場耕し、もう一度木々を植える。かつての森が林になるだけでそこに木があるということに違いはないではないか。

そう、僕は父に説明した。

すると、父は言った。

タンポポはどうなる?遥か昔からその場所に咲いていたそのタンポポは。嵐が吹いても森林伐採の憂き目にあっても、彼らだけはその場所でじっと堪えていたんだ。それを俺の手で摘むことなんてできない。今は彼らの場所なんだ。そっとしといてあげてくれ。

なるほど。そういうことなのか。
僕は乱暴に合理性を主張していただけで、タンポポを慈しむ、美しい心を忘れていた。もうそれ以上返す手がなかった。

まぁ、よく考えたら全て例えばの話でそこには可愛いタンポポなど生えておらずヒョロンとしたおじさんの細い毛があるだけなのだが。

父の頭の上でふわふわしている埃のような毛は父の中では誇りだった、ということなのだろう。


僕はまだ一線を越えたことがないのでその先は大体同じような景色なのだとばかり思っていたが、一線越えてからもどうも色々とあるらしい。

僕もまだまだ学ぶことがたくさんあるのだ。