ハゲによるルックスの低下を防ぐ方法について、僕が15年考えた結末
僕の父は前面から頭頂部にかけてがずるりと薄毛であり、頭頂部には赤ちゃんの産毛程の柔らかな細い毛が優しく漂っているというスタイルを長年続けている。
小学生の頃に先生から、遺伝子についての説明を受け、いつかは父に似てくる可能性が高いということを知ってからというもの、僕は父の背中より頭髪の進捗の方ばかり見ていた。
僕も父と同じ結末を迎える事になるとすると、逆に父がハゲなければ僕もハゲないと言えるのだ。
しかし、願えども願えども父の頭皮が良化する傾向は一向に見られなかった。それどころか日に日に地表を露わにしていく裏切りには心底閉口した。
そしてそれが本当の意味で不毛な消耗戦であることに気づいたのは小学校も高学年になってからだった。
ハゲとは不可逆である。
一度ハゲると育毛剤を振りまこうと頭皮マッサージをしようと無意味で、あとは抜け続けるだけであると。
父が新しい育毛剤を買う度に、喜び勇んで、これでもうフサフサだな、などとのたまっていたが、あんなものは戯言である。
折しも、僕は思春期に差し掛かっており、その事実は僕に呪いのように纏わり付いた。
僕は何度も父を責めた。何故ハゲているのか、と。なんとか髪を生やす事は出来ないのか、と。
僕がそう言うと、兄も僕に加勢した。そもそも努力が足らないと。もっと若い頃から対処はできなかったのか、と。
今になって父の気持ちを思えば地獄である。
しかし、我々としても死活問題なので父に何とかしてもらいたかった。なんとかして打開をしてほしかった。だが伸びる事はあっても増える事のないそれを見て、僕ら兄弟は幼少期から感じていた父の全能感をこの時、失った。
この世に神はいない。が、僕らにはまだ髪があった。兄が言ったように今から対処すれば父の二の舞にならずに済むのではないか?
そこで僕らは父の育毛剤を使い、マッサージをし、髪のケアを始めた。そしてハゲた時どうするか、有効だと思う対処法を話し合った。
僕は中学1年生になっていた。
髪のケアは続けていた。
ある日風呂に入り、いつものように子猫を撫でるような優しいシャンプーをしていた。
抜け毛の量をチェックは当たり前になっていたので特に意識せず、泡だらけの指先を薄目で見た。
するととんでもない量の髪が抜けていた。
「ハゲとは不可逆である」
シャワーで目元の泡を流してマジマジと抜け毛を見つめたが先ほどと変わらない、大量のそれらが執拗に指先にへばりついていた。
きた、と。
xデイがついにきた、と。
しかし、思ったほど僕はショックを受けていなかった。
「ハゲとは不可逆である」
抜けた毛はもう戻らないのだ。
僕は兄を呼び、被害箇所の確認を依頼した。特に頭頂部は鏡で確認しにくいので入念なチェックを強く言い置いた。
兄によると、明らかなハゲは見当たらないとのことだった。母に相談すると、部活で日光を浴びているので傷んでいるだけだと言った。
それらの言葉は確かに僕を多少安心させた。
しかし、これが不毛に至るまでの消耗戦である覚悟は既に持っていた。僕の孤独な闘いはこの日から始まった。僕は遺伝子を超える。
そして、15年が経った。
僕は大人になっていた。
都会の雑踏に揉まれ、家では頭皮を揉んだ。
まだハゲていなかった。
僕は妻や友人、職場の仲間に、僕が将来ハゲることと、臨界点を超えたと判断した時点で髷を結う事を伝えていた。
そうなのだ。僕がこの15年を使って問い続けた答えは、ハゲたら髷を結う、である。
アパレル店員とか芸能関係者がよくしている、長髪を緩く持ち上げて頭頂部でまとめるようなナンパなスタイルではない。椿油でガチガチにテカらせた本格派である。
理由としてはハゲた場合にできる髪型の中で最もかっこいいからである。時代劇とかもやってるし、ワンチャン見慣れないとかもないかもしれない。
とりあえずハゲる兆候は見られていないので、まだ今しか出来ないスタイルを楽しむつもりである。
最近の事だ。父と呑んでいる時にふと、何歳くらいからハゲ始めたのか?と尋ねた。
「おー、結婚した時くらいだから27歳くらいか?」
と言った。
僕はラストオブアス2の製作が発表された時以上、いや、人生の中でも感じたことのない喜びを、いや、悦びを感じた。
僕はもうそのデッドポイントを超えていた。
「てめえ、若ハゲだったんかい!!」
僕に呪いは掛かっていなかった。
隔世遺伝という言葉がある。2世代前の特徴を引き継ぐというやつだ。つまり僕は母方、もしくは父方の祖母や祖父の特徴を引き継いだのだ。
僕の子は1/4くらいの確率でハゲるかも知れない。
しかし、僕はハゲない。
いいか?もう一度言う、僕はハゲない。
ロバートジョンソンを始め歴史上の多くのロックスターは27歳で死んでしまうという伝説がある。
僕はロックスターではないが、ハゲでもない。
僕がお侍ちゃんになることはない。どこかの刀匠が錬成したとかいう高い剃刀ももう要らない。頭を剃る必要がないからだ。帰ったらすぐに捨てる。
僕は父を置いて、居酒屋を出た。悦びのあまり、居ても立っても居られなかった。
梅雨が明けてまだ外は薄明るい。アスファルトからムッとした熱気が香った。もう、夏はすぐそこだ。
一方その頃、兄は順調にハゲ始めていた。
※本記事を読んで不快に感じた方がいらっしゃったら大変申し訳ありません。薄毛の方を貶める意図はありません。
■怖い話:展望台での肝試し
これは僕の友人、ゆうた(仮名)から聞いた話である。
ある夏、高校生だったゆうたは、友人数人と近くにある山の展望台へ肝試しに行くことになった。
当日になり、突然ほとんどのメンバーが参加できないと言い出した。理由は夜中抜け出そうとしたのが親にバレたとか、体調不良とかそんな感じだったらしい。
ゆうたともう1人、ゆうたの友人Aは待ち合わせ場所にいた。
ゆうたとAは同じグループに所属していること以外に繋がりがなく、普段から話す相手ではなかった。むしろ、ゆうたとしては少し苦手な友人だった。
「なぁ、みんな来ないし、もう帰らん?」
ゆうたはAに言った。
「は?なに、ビビってんの?」
Aのこういうところもゆうたは苦手だった。
「みんないないならつまらんやん」
少なくともお前と一緒だとさらに、とは言わなかった。
「行こ行こ。みんな多分ビビって行きたくなくなったんやろ」
Aはそう言うと、自転車に跨り、ゆうたに荷台に座るよう促した。
待ち合わせ場所まで家から近かったため、ゆうたは歩きで来ていた。
渋々、荷台に座るとAの肩を掴んだ。
じっとりと汗で濡れたシャツが気持ち悪くてすぐに手を離した。
まばらに街灯があるだけの真っ直ぐな田んぼの道を抜けるとすぐに登山道入り口にある公衆トイレが見えた。
白々しい蛍光灯が付近を照らしていた。
Aは通りから見えないトイレ裏に自転車を停めに行った。
ゆうたはこれから登ることになる登山道入り口に目をやった。
比較的月の光で明るい夜だったが、夏の鬱蒼とした木々がまるでトンネルのように覆い重なり、真っ暗な口を開けていた。
「よし、いこうか」
蛍光灯の下に戻ってきたAは意気揚々とした様子で言った。
展望台までは15分ほど登山道を行く必要があった。
ゆうたはあまりにも暗かったので途中で引き返したいと思ったが、最初の木々のトンネルを抜けるとあとは月の光が届くほどには薄明るかった。
そうこうしているうちにすぐに展望台に着いたので、明日友人達に見せるための写真を撮った。
「意外となんもないのな」
行きはほとんど会話もしなかったが、緊張から解放されて、帰りはよくAと話した。
「な?そんなもんだって」
あっという間に2人は登山道を下りた。
入口のトイレまで戻るとAは裏に自転車をとりにいって言った。
「あ、やば、自転車の鍵落としたかも」
Aの声だけが聞こえた。
「え?どこに?」
ゆうたはトイレ裏まで聞こえるように大きな声で話しかけた。
「多分写真撮ったときかな。それ以外でポケット触ってないし」
トイレ裏から戻ってきたAが言った。
写真を撮ったのは展望台だ。
と、すると頂上までまた登らないといけない。
正直無理だ、とゆうたは思った。
「俺行けんよ。暗いし。見つからんやろ。歩いて帰ろう」
Aはゆうたの方を見た。
「何言っての?来いよ。探しに行くぞ」
蛍光灯に照らされたAは少しも表情を変えず無機質に言った。
「無理やろ。絶対見つからんて。明るくなったらまた探しに来よう」
「いや、俺知ってるし。絶対に見つかる。一緒に来い」
わかってるなら1人で行って来いよ、とゆうたは言おうとしてやめた。何かAに今まで感じたことのない迫力を感じたからだ。
ゆうたが何も言わないでいると、Aがゆうたの腕を掴もうとした。
ゆうたはすぐに手を引き、言った。
「悪いけど俺は一緒に行けん。ごめんな」
Aはゆうたを一瞬見つめると、そ、とだけ言ってくるりと振り返った。そしてなんの迷いもなく登山道に向かった。
あぁあいつホントに行くんだ。ゆうたは思った。真っ暗な登山道の中にAの姿が飲み込まれるように消えた。
そして、カリカリと車輪を回して自転車を引いたAがトイレ裏から出てきた。
「え?おまえ」
登山口にAが消えた瞬間、トイレ裏からAが出てきた。
「あ?どうした」
「鍵、ないって言って」
「あ、ないと思ったけどポケットに入ってた」
ゆうたはドッキリだと思った。
「ははは。うそやん。誰かおるん?」
しかし、どう考えてもさっき話したAと、今話しているAは同じ顔、同じ声だった。
「何言ってんの?」
そして気付いた。もし、本当に何か得体の知れないものがAに化けて出たんだとすると。
さっきと今、どっちが本物のAだ?
ゆうたは走った。
呼びかけるAを無視して一目散に。
後日、怒っているAに謝罪し、改めて話を聞いたが、鍵は実際にポケットに入っていたらしい。また、トイレ裏にいた時に出た、Aに似た何かについては本当に知らないし、話し声も聞いていないとのことだったそうだ。
ゆうたはドッキリを疑い、来なかった友達にも確認したが、全員、本当に家に居たそうだ。
もし、あの時鍵を探しに付いていっていたら。
彼は15才の春に家に引きこもった
僕と彼の思い出は僕らが12才、小学6年生の時に遡る。
前から目立つ児童ではあったと思う。友達から名前は聞いたことはあった。よくは知らないが有名な進学塾に通っていて、親がお金持ちで、ゲームをしに友達がよく家に集まっているということは知っていた。
ある日、僕の友達がどうしても、というので校区外にあるプラモデルショップに付き添った。
僕と友達は2人でそれぞれの自転車を漕いで、大きな橋を渡り、沢山の車が往来する見たこともないような大きな交差点を渡った。
帰りにマックでバニラのシェークを買った。
あの時の僕たちにとってはそれはとてつもない大冒険だった。
翌日、学校に行くと、友達数人を引き連れた見慣れない男の子が僕のところにやってきた。
それが彼だった。
昨日塾に行く時に校区外の大きな橋を渡る僕を見たと、校区外には子供だけで行ったら行けない、君は不良だ、と主張した。
僕は、親に言うでも先生に言いつけるでも好きにしてくれ、と言った。僕たちがしたことは事実だったし、決まりも本当だ。怒られても仕方ないと思った。ただわざわざそれを僕に言いに来た彼の意図が測りかねた。
今から思えばそうやって弱みを握って子分を作っていたのかも知れない。ただそこまで打算的でなくても、とにかくその時は面倒なヤツだと思った。
中学になり、僕と彼は同じクラスになった。
席は僕のすぐ後ろだった。
あの一件があったので僕はできれば彼を避けたいと感じていた。意識して彼には話しかけなかった。
しかし、プリントを配る時に後ろを見ないわけにいかず、振り向いたところ、テッカテカの笑顔で僕に裏ボタンを見せつけた。
「これ知ってる?ボタンの後ろをこれでとめるの。見て、龍だよ。かっこよくない?」
バカだな、と思ったし、僕も同じようにバカだった。
「やばい。めちゃかっこいい」
僕たちはすぐに仲良くなった。
僕と彼が急速に仲良くなった理由は席が近かったというのもあるけれど、何より一番は同じ部活に入ったことだろう。
この部活は県内でも有数の強豪でかなり気合が入っており、その厳しさから一年生の入部希望者はごく少なかった。
僕は兄がその部活に入っていたところもあり、あまり深く考えず入部した。
彼がどういう理由で入部したのかは知らないが初日に2年生から、「部室は2年になってやっと入室可、3年になるまでは座ってはいけない」という謎のしきたりを教えられている時に、「厳しくね?」と隣で彼が小声で言ったので、同じ部活であることを知った。
僕たちは2学期まで精力的に部活に励んだ。
僕は何故か上手かった。中体連では1年で唯一の補欠になった。こうなると他の1年生とは練習メニューが変わるのであまり関わらなくなった。
2学期が始まり最初の昼休みに、同じ部活の僕以外の1年生が顧問に詰め寄っている、と部長が僕を呼びに来た。
僕も慌てて職員室に行くと、彼が中心となり、1年の部活動環境の改善を求めているらしかった。
具体的には練習中の水分補給の自由化や、1年生の練習試合参加などであった。
先輩の手前、堂々と主張するのが躊躇われたが、言っていることは最もだと思った。
結局その場では解決せず、後日、彼と彼の親が学校に乗り込んで来て、全面的に彼の主張が認められるに至った。
しかし、それ以後、先輩や顧問、コーチから明らかに1年生は腫れ物に触るような扱いをされるようになった。
僕は馬鹿らしくなり、放課後は部活をサボって図書室で火の鳥を読むようになった。
彼は他の1年を率い、熱心に部活をしているようだった。
ある日、僕が図書室で本を読んでいると、クラスの女子がやって来た。告白だった。
思いがけないことだったので恥ずかしくなり断った。
翌日になると僕が告白されたという噂が校内に広まっていた。僕は知らんぷりを決め込んでいて、いつもと同じように放課後には図書室に向かった。
彼が図書室にいた。
どうも部活はサボったらしかった。
適当に会話したがその後も本に集中できなかった。
その日、初めて彼の家に行った。一緒にゲームをして遊んだ。同じ部活の他の1年も数人いた。みんな僕が行かなくなってしばらくしてサボり始めたらしかった。
彼は僕が女の子に告白されたと聞いて、図書室に行けばモテるのかもしれないと思って来たらしかった。本人は結局認めなかったが、他の友達がそう証言した。
僕らはそれから毎日彼の家でゲームをして遊んだ。
冬、僕の転校が決まった。
僕は誰に言うつもりもなかった。親が離婚したのだ。ただ、恥ずかしかった。
最後の金曜日、僕はいつものように彼の家で遊んだ後、彼の家の玄関で靴を履いていた。他の友達はすでに帰っていたので僕と彼だけだった。
「僕、転校するから」
それだけ伝えた。彼はなんで、とは聞かなかった。彼の親から何かしら聞いていたのかも知れない。
「新しい家の電話番号、教えてね」
外に出るともう深夜のように暗かった。吐いた息が白く昇って霞にように溶けて消えた。僕たちはそうやって別れた。
それからも僕たちは電話でよく話した。
新しい学校にはすぐ馴染めたこと、部活をまたやっていること、好きな人が出来たこと。
高校は一緒に市内で一番の進学校を目指すことにした。
たまに彼の家に自転車で遊びに行った。
前と同じように沢山の友達ががたむろしていた。
僕がきても珍しがる様子もなく普段通りゲームをした。
帰りはかなりの長い距離だったが頑張って自転車を漕いだ。
中3の夏、僕と彼にそれぞれ彼女が出来た。
僕の彼女は転校先の中学の同級生だったが、彼と彼の彼女は同じ塾らしく、知り合いだった。
4人で花火を見に行った。
僕は浴衣姿の彼女を自転車の荷台に乗せて、少し誇らしいように感じた。
みんなで同じ高校を目指そうと話した。
春、彼だけが高校を落ちた。
僕らは残念会を開いた。彼は少しも気落ちしていなかった。来年は先輩かよ、と言って笑った。
夏、僕は彼女と別れた。部活の先輩を好きになったとのことだった。すぐにその先輩と付き合い始めた。僕はまた本を読むようになった。
冬、彼と久しぶり会った。彼女と別れた事を報告した。彼は知っていた。最近はオンラインゲームで遊んでいるらしかった。受験勉強はうまく行っていると言っていた。
春、彼はまた不合格だった。会いには行けなかった。風の噂で金髪に染めたと聞いた。彼の彼女だった子が僕の友人と付き合い始めた。いつの間にか別れていたようだった。
高3の春、僕はある事で賞をもらい、ちょっとした有名人になった。彼から電話があった。祝福をしてくれた。県外の高校に合格したとのことだった。
しばらくして久しぶりに彼の家を訪れた。
数人の懐かしい顔がいた。僕らは特に思い出に浸るわけでもなく昨日ぶりくらいの感覚でゲームをした。
20歳、成人式の日、彼は会場に来ていなかった。
彼の元彼女がいた。知らないとは思いながらも彼のことを聞いた。
「まだ家でひきこもってるんじゃない?」
バカにするように笑った。生理的な嫌悪が背筋を伝った。
23歳、僕は久しぶりに帰郷した。
駅に着いたがまだ迎えが来ていなかった。時間を潰すか、と駅前のパチンコ屋に入った。彼がいた。
声を掛けるのを躊躇ってしまうほどその場に馴染んでいた。なんというか、そちら側の人に見えた。
僕は勇気を出して声をかけた。驚いてはくれたが後で電話する、とだけ言ってパチンコに戻った。
電話はなかった。
26歳、僕は恋人と結婚した。
結婚式に、彼を招待した。返事はなかった。
夏、僕ら夫婦は地元に帰って来た。
あの時一緒にゲームをしていた仲間から彼がまずい状況だと言う話を聞いた。
なんでも精神的に不安定とのことだった。
てっきり卒業したとばかり思っていた県外の高校は入学式の日に辞めたらしかった。同級生がガキすぎる、と言っていたそうだ。
僕は彼の自宅に電話をした。母親が出た。
僕は挨拶をして、彼がいるか尋ねた。彼の母親は言い淀んだが、どうも自宅にいるようだった。
すぐに、彼の家に行った。
中学の時、そうしたように、彼の部屋の窓ガラスを叩いた。すぐに窓は開いた。彼がいた。
「大検とって東大目指すか、司法書士、どっちがいいと思う?」
彼はそう言った。
何のために?僕は聞かなかった。彼のプライドのためだとわかっていたからだ。
懐かしい彼の部屋は昔と全く変わらなく、置いてあるゲーム機以外はあの時のままだった。しかし、そこにはもう僕と彼しかいなかった。
「とりあえずアルバイトから始めてみたらどうだろう」
僕は言葉を選んで言ったつもりだったが、声にしてみると自分でも驚くほどトゲがあった。
シャシャシャと彼は笑った。
「金なんてFXで稼げるでしょ。大事なのは俺の才能を活かせる仕事なんだよなー」
不可能ではないだろう、しかし僕にはそれを彼が出来るとはどうしても思えなかった。
秋、彼は何もしていなかった。近所のショッピングモールのゲームセンターにいるのを見かけた。
もう、声はかけなかった。
春、近くのディスカウントスーパーでレジ打ちしている彼がいた。長く伸びきっていた髪は清潔感を感じるほどには短くなっていた。
僕はエナジードリンクを3つ持った。僕と妻と彼の分だ。渋滞ができた彼のレジにわざと並んだ。
理想を持つことは大事だろう。プライドがなければ判断に悩むだろう。でも幸せになるためには高すぎるハードルは邪魔なだけだ。
矛盾ばかりだ。だけどどれも本当だ。
色んな人が色んなことを言って、誰かのせいにしたくなるかもしれない。
でも選んだのは自分自身だ。責任も手柄も全て自分のものだ。
胸をはれ。
生きろよ、ずっと。
天才と恋について
恋の正体が、多くの場合性欲であることは疑いようがないと思っていた。
当時まだ恋人だった妻に、ヘンリーダーガーの作品世界について説明している時に(もちろん聞いてない)、ごく当然の事として、「ほら、恋って結局性欲じゃん?」のようなニュアンスで話したところ、大顰蹙を喰らったことがある。
彼女の主張としては「とにかくキモい」とのことで、理由は「とにかくキモいから」とのことだった。
え、違うの?と僕は思った。多くの人が恋を思春期に経験することや、その感情がもたらす終着的行為を考えるとそうとしか思えない。
おそらく彼女がそうなってしまったのは、彼女の中にある感覚を否定されたように感じたか、単純に僕がキモいかのどちらかではあると思うが、僕がその時言いたかったのは、個人の感覚の話ではなく、もう少し俯瞰して全体を見たときの傾向の話である。
しかし、何を言っても聞き入れてもらえず、逆に僕も自分が間違えているかもしれない、と不安になり、この件についてググってみた。
すると本テーマが全世界的にトラブルを生んでおり、特に恋愛上では何があっても取り上げてはいけない題材だったことがわかった。
そして、さらに僕の主張が誤っていることもわかった。
否定派の意見を中心に見ていたのだがその中の1つに「恋は性欲起源ではなく、交配への本能的エネルギーから」という言葉があり、あ、それや、と思った。
性欲と交配への本能は似ているが違う。言われたら確かに納得できる。
第一階層に交配への本能があるとしたら、第二階層に、恋(恋愛欲求)や性欲がいるということだろう。
ムラムラするのは性欲からだが、ムラムラしたからと言って必ずしもその対象に恋する訳ではない。
これは目玉焼きという料理を存在させるために卵があるのではなく、卵があるために目玉焼きやスクランブルエッグが生まれた、という事に似ている。
交配への本能があるから、恋や性欲という欲求が生まれた。つまりそういう事だ。
僕は、完全に納得したし、新しい知見を手に入れたと思い、ノリノリで彼女に報告しようしたところで、やっと気づいた。
詰んだ、と。
彼女の否定的姿勢はおそらく自分自身の経験から来ているものと推測される。彼女が今まで感じた恋心と性欲は一致しなかった、という事だろう。
と、すると彼女の逆を取れば、僕は性欲と恋心が一致している、ということになる。つまりムラムラした瞬間、赤い実はじけた、となり、私という恋人がありながら浮気するなんて、が、成立する。
また、そのあたりの誤解を紐解くには僕自身のムラムラについて説明する必要が出てくるだろうが、それは避けたい。ろくな事にならない。
さらに彼女には、あの恋さんと性欲が同じ階で働いているなんて言い出せない程度には恋が神格化されているような向きも見られた。
と、すると、この理論自体納得しないかもしれない。僕がこれから論じようとしているのは、結局、恋は身体目的、ということである。
つまり、僕たちがこの件についての解答らしきものを話し合いによって共有する筋は完全に死んでいた。
何か手はないだろうか。
僕は考えた。
小さい頃から口だけは達者、果ては詐欺師か弁護士かと言われた僕である。必ず乗り越えられるはずだ。
彼女を見る。
こういう時、まずは現状の正しい把握が重要だ。
どうしても僕というポジションからのバイアスがかかってしまいがちだが、これをできる限り除外してもう一度フラットに観察するのだ。
そしてすぐに妙案が浮かんだ。
かなり苦しいかもしれないが、きっと僕ならできる。
「この世には、0を1にする人と、1を10にする人と、10を5と3と2などに分解する人がいる。これは必ずしもどれか1つの特徴がある、と言うわけではなくて、満遍なくどの作業もうまくできる人もいるし、どれかだけ、の人もいる。
と、すると僕は分解もできるし、効率よく作業もできる。つまり、1から10も10の要素の分析もできるっていうことだね。
だけど0から1は得意じゃない。何もないとこから何かを生み出すことはできないし、それをしている人達がどういう思考回路でそんな事ができているのか理解もできない。だからこそなのかもしれないけど僕はそれに強く憧れる。
人類の割合としても0から1の人は少ないんじゃないかな、と思うよ。程度の差はあれどそういう人達を天才と呼んでもいいと僕は思ってる。
君はどちらかというとそちら側に属する人間だよね。
誰も思いつかない発想で問題を解決するし、色んなものを作ったり楽しんだりできる。
0から1、つまり無から有を生む事ができる」
掴みは上々だ。またなんか言ってる、という顔ながらも黙って僕の話を聞いているのがその証拠だ。
「では僕のような凡才が天才になるためにはどうしたらよいか?
それについては天才が何なのか知る必要があると思う。
歴史上に名を残す天才達にはある共通する特徴が見られるのを君は知っているだろうか。
必ずしもそう、という訳でもないけど、精神薄弱だったり、非常識だったり、作品以外は人間的にクズって言われることもあるんだ。
これは君がそうだって言ってる訳じゃないよ?あくまで歴史上の天才達の話。
天才と評されるためには独自性が大切なんだけど、そういう風に普通とは異なるポジションからその物事を見ているということは、他にはない発想や作品世界を生んでいることと、どうしても因果関係があるように思えてならない。
また、その物事の生産性を上げたり、精度を高めるため、つまり噛み砕いて言うと、上手になるためには、単純に長い時間をその物事に捧げる必要がある。これは作業を行っている時間だけを指すのではなく、その物事について考えたり、アイディアが降りてくるのを待っている時間も含まれる。
これらのことから天才になるためには、誰もいないポジションでその物事を見て、人生のほとんどの時間をそれに費やせばいいと思われるんだけど、ぼくら凡人にはそれが出来ない。
ヒトっていう生き物は社会性を作るっていう特徴を持っているから、僕らは常に何かに所属して、誰かと共有して、生活しようとしている。ヒトである以上それが当然なんだ。
自由になりたいって言う人もいるけど、結局はなんだかよくわからない属性を纏って落ち着いていたりするだろ?
完全な自由は僕らの手に余るし、誰もいない場所に、それこそ人生の時間をかけて長居したりできないんだよ。
だとすると、歴史に名を残すほどの天才になるのはあまりに失うものが多すぎる。そもそもそうしたからと言って必ずしも評価されるわけでもないし。
天才って非効率。コスパ悪い。
僕としてはもっと手軽に天才になりたい。常に天才じゃなくてよくて、日曜の14時くらいからイッテQ始まるくらいまで天才であればいい。
それに、そもそも俗世にいても凄いことをできる人はたくさんいるし、逆に特殊な位置にいてもそうじゃない人もいる。
この違いは何か。これは結局、やる気なんだよね。
どんなに素晴らしいエンジンが載っていても、ガソリンがなければ動かないように、才能があっても舞台にあがらなければ輝かないし、才能がなくても、やり続けてさえいれば、相対的に上手くはなる訳だ。
やる気というエネルギーを発掘出来れば、ガチの天才じゃなくても、そこそこにはなる可能性がある。
ならば、とやる気の埋蔵地点を掘削するんだけど、僕の場合、公園の水飲み場の水道くらいの勢いしかないし、そもそも埋蔵量も少なくてすぐに枯渇する。
好きな事であれば持続するけど、そのエネルギーは好きな事にしか向かない、その他に流用する事ができない指向型エネルギーなんだ。
やる気がなくてもとりあえずやっているうちにやる気が出てくるとか言うし、それは事実かも知れないけど、そもそもちょっとやる、やる気がもうない」
理論の正誤ではない、連想ゲームのように言葉尻を捕まえてテーマを連鎖させていく。少し、突拍子もないだろう。しかし、ここまできたら走りきるしかない。
「そこで恋だ。
恋は無限のエネルギーなんだ。
恋をすると人は無意味な事や後から考えると恥ずかしくなるような事だってなんでもしてしまう。
恋は芸術を生む、なんて言われるけど、実際のところは溢れ出たエネルギーが転換されたでけで、仕事だって、未知の生物からの地球防衛だって恋をしていたから上手くいった、なんて話はよく聞くじゃないか。まぁそれは映画の話だけど。
つまり、恋から生まれるエネルギーは転用が可能、なんじゃないか?
思い通りにならなければならないほど、胸をかき乱して、転用可能なエネルギーがプールされるのでは?」
あと少し。次で終わりだ。
「だから僕は報われない恋をすべきだと思うんだ。
僕は君に永遠に恋をすることを誓うから、僕の恋人である君には、どうか僕の思い通りになんかならないでいてほしい。いつも可憐で、僕のことなんか一切意に介さず、君の思うように生きていてほしい」
こうして僕は思い描いたゴールを踏んだ。
作戦としてはとりあえず思いがけないテーマについて話し、あーだこーだ言ってるうちに元のテーマに戻ってきたと見せかけて、実は論点がズレている、というものだ。かなり苦しいがおそらく彼女には通るだろう。
そして彼女は言った。
「え、なにそれ。意味わかんない。プロポーズ?」
「え、あ。そうだね」
所謂、恋愛上で、永遠や、誓う、という言葉を安易に用いてはならないという好事例である。
彼女としてはプロポーズ(※違う)が気に食わなかったそうで、後日、プロポーズのやり直しを命じられた。
●このブログについて
僕はこのブログのことをすっかり忘れていた。
アイフォンの修理のためにバックアップを作っていた時にこのブログの下書きを見つけてやっと思い出した。
読み返してみたけどゾンビのやつ以外はなかなか面白いと思う。自分で言うとアレだけど。ゾンビのやつはもう少し空想描写をどうにかすべきだった。書いているときは空想描写が冗長であればあるほどオチに効いてくると思ってたけど、描写が幼稚すぎて(※意図してそうしたことも含め)まったく入り込めず、逆にオチを弱くしているよう感じた。
さて、このブログのコンセプトについて説明していないので、これがなんなのかよくわからなかったと思う。僕自身改めて時間をおいて読んでみて、こいつなんなの?と思った次第である。
このブログは「僕に起きた事実の中でまだ言葉になっていない感情を覚えた出来事を文章化する」というコンセプトの元書いている。
物語としての面白みを増すために多少の粉飾はしていることは伝えておきたい。
しかし事実を元に書いているので登場人物は実際にいる人である。その人達を陳腐化させたり悪く書きたい意図はないのでフィクションとして読んでもらえると助かる。
というか便宜上フィクションとしてほしい。
あくまで理想だけどできれば僕が感じた気持ちに似たものを読み手側に再現させたい、という下心がある。僕自身が主人公の物語ではあるけれども僕というキャラクターはあまり重要ではなくて、好きなように読み替えてもらったり、適宜適当なキャラを設定してもらっていいと思っている。僕が感じた気持ちと読み手側が感じた気持ちの差異はあってもいいとも思っているので正しくは再現ではないかもしれないけど。
例えば、僕は既婚者だがこのブログ内で別の女性と仲良くしている描写をしたとしたら、変に邪推をする人もいるかもしれない。そういう部分に本意はないので避けたし、逆にいいことをしたとしてもそれを褒め称えられるのも違うのである。
だから、できればフィクションとして受け取ってほしいなぁと思う。
ただ、結局このブログの最たる目的としては読んでいる人に楽しんでもらえることではある。
書き口が妙に軽薄だったりコメディタッチだったりするのに、中にあるコンセプトが純文学系(界隈の人怒らないでください)であるアンマッチを楽しんで欲しいし、今後あげるとすればその精度は高めていきたいと思う。
しかし、書き口は意図して選んでいるので僕自身がめんどくさくなる可能性がある。今後一定化してきた場合、手を抜いていると感じてもらってよい。
僕自身についてはクソみたいな冗談をいつも言ってる会社の同僚の狼少年だと思ってもらればいいので、足りなければ後は適当に想像で補完しといて欲しい。
更新スピードがゴミなのはもともとコンセプトに合致する出来事はそうそう起きないことと、単純に満足する完成度のものができないからである。
思い出した以上、定期的にアップできればとは思っているのでその辺と折り合いをつけながら頑張る。
なぜ最終投稿から一年くらいたって突然こんな所信表明のようなことをしたかと言うと、久しぶりにはてなの解析を見たら意外と見ている人がいたためである。
旬のトピックも追ってないし、検索でもヒットしないと思うのになぜ見ているのかは不明である。
めちゃめちゃ暇なのかもしれないが、他にやることは必ずあるはずである。
しかしそれでも貴重な時間を割いてこんな長文を読んでくれるのであれば、僕自身は書いているだけで満足だが、一緒に楽しんで貰えると嬉しいので僕なりの解説を挟んだ次第である。
自慰がすぎるかもしれないが、これまでの記事について言及する。
僕自身が最も気に入っているのはそばのやつである。弱すぎるネタを冗長に書き連ねるという部分で上手くいったように思っている。
お勧めは隣の席に不美人がいてなんちゃらである。久しぶりに読むと構成は見直す必要があるように思ったのでもしかしたら修正するかもしれない。けれどそれに何の意味があるのかは知らない。あとタイトルはやらかしたな、と思っている。実はこのブログの一発目の記事だったんだけど、死を取扱うという部分で躊躇してしまいあげなかった。
名探偵のやつはアホみたいなことを考え込む推理小説風にしたかったけど、興味が引っ張れない割に冗長なんだよな、もう少し違うアプローチが出来たのでは?と今なら思う。
妻話はシリーズ化したい。ネタはまだある。しかし妻を小馬鹿にしているように感じるかもしれないのでこれも躊躇してしまっている。言っとくと我々はとても仲が良く、このブログの記事は全て妻の検閲を合格しているものであることは伝えておきたい。あと妻はとても美人で賢いです。僕にはもったいないほどであると思っています。勘の良い方、お察しの通りです。
今後は亡くなった親友の話やAVを3日に1回大量に借りていくイケメンの話、ダンゴムシの巣窟について、廃墟に住んでいるホームレスとそこで自殺した少女の幽霊の話など盛りだくさんであるがどこまで陽の目をみれるのか、あげたとしてもこの注釈記事を読んだ人が読むことがあるのか、とりあえず頑張りたいと思う。
あとタイトルに●がついてたらコンセプトから外れて適当かましてる記事だと思ってほしい。常に適当かましてるのでよくよく考えたらどうでもいいので忘れてもらってよい。
ここまで読んでこいつ恥ずかしくないのか?と思った人がいるかもしれないがそういうの母親の胎内に置いてきたので持ち合わせがない。逆に君達は裸で生まれてきたのにそれ以上に恥ずかしいことがあるのか、と。いつかは死ぬしどうせなら楽しんで生きようぜ。少なくとも僕はそうする。
「ゾンビを倒すために最も効率的な武器について」
昼前に喫煙室にタバコを吸いに行ったところ、年下の同僚が煙に目をしかめならスマホを凝視していた。
「何してんの?」
僕がそう声をかけると同僚はチラとこちらを見、すぐにスマホに視線を戻して言った。
「ゾンビの世界で生き抜く方法を考えてました」
カーン。
イメージの世界で甲高い音が鳴った。それがなんなのか一瞬わからなかったが、ゴングであることにすぐに気付いた。
「え。なんて?」
「あ、いや、ゾンビに囲まれたらどうしようかな、と思って」
こいつ、まじか。
僕がゾンビを好きなことを知ってて言っているのか?
コールオブデューティーブラックオプスでゾンビモードにはまってからというもの、ありとあらゆるゾンビものの映画や漫画を消費しまくり、ゾンビが好きすぎてゾンビの仮装をやってたUFJにも単騎突入し、前述のゾンビモードではグリッチなしでスコア世界100位以内(※とてもすごい。休みなしで2日かかった)に入ったけれども、家族や友人にゾンビのよさを伝えても理解を得られず、虐げられてきたこの僕に、まるで無防備で、軽率に、ゾンビについての考察を求めて、ただで済むと思っているのだろうか。
そして、僕の中に強烈なイメージが浮かんだ。
~~~~~~~~~~~(イメージの世界)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
若くして無敗のまま世界チャンピオン戦まで上り詰め、史上最高の天才と言われた僕は、山での修行中にクマに襲われた際、命を救われた、宿命のライバルで世界チャンピオン、マハリスと因縁の対決に挑むことになった。しかし、試合前夜、報われない家庭環境から荒れた生活をしていた僕をボクシングの道に導き、公私ともに支えてきた幼馴染でトレーナーのたかこを不慮の事故で亡くしてしまう。絶望に暮れた僕は試合を棄権し、姿をくらました。3年後、たかこの弟でプロボクサーのよしおが世界戦の練習のためモロッコを訪れた時、地元民も寄り付かない場末のパブでゴロツキ共とポーカーに興じていた僕を見つける。よしおは僕に声をかけるが、変幻自在のアイスハンマーと呼ばれた僕の右手は既に握力を失ってしまっていた。よしおは姉の意思を受け継ぎ、僕のトレーニングを始めるが、右手の状況は一向によくならなかった。だましだまし試合を重ねていくが、かつての史上最高の天才の面影はリングの上には見られなくなっていた。再び失意に暮れる僕だったが、町で見かけた、たかこによく似た女性、まさみとの出会いで、少しずつ精神的な強さを取り戻していく。かつてマハリスに救われた山に修行に訪れた際、再びあの時のクマと出会う。絶体絶命の状況に陥った僕だったが、ステップインから最大限に腰のひねりを増幅させ、フックのように死角から、ストレートのような鋭さをもつ、必殺の左パンチを繰り出し、クマを撃退する。その後、このパンチで連戦連勝を重ねる僕だったが、腰へのダメージは深刻で、医者から「あと3発まで」と宣告されてしまう。必殺のパンチを封印し、世界チャンピオンを目指す僕だったが、かつて戦ったライバル達が立ちふさがり、2発のパンチを消費してしまう。いよいよ世界チャンピオン戦目前となるが、世界最長防衛記録を持ち、すでに生ける伝説となっていたマハリスを、よしおが倒し、新世界チャンピオンとなってしまう。よしおとはまさみとのことで対立してしまい、よしおはジムを移籍してしまっていたのだった。そして遂に僕とよしおとの世界戦前夜、まさみについての衝撃の事実を知ってしまう。たかこを忘れきれずふるわなかった僕のためにまさおが世界中から似ている人物を探し、大金を積んで用意した偽りの恋人だったのである。拳を握りまさみの前に立つ僕だったが、その拳が振るわれることはなく、また僕は闇へと消えて行った。
しかし、試合当日、リングの上にはバンテージを巻く僕の姿があった。
必殺のパンチは残り1発あったが、このパンチの致命的な欠陥をよしおは知っており、通用するように思われなかった。
よしおの素早いステップワークから生み出される遠心力の乗ったフックは脅威だが、かつて天才と呼ばれた僕の動体視力の前では止まっているも同然だった。
共に今は亡き、たかこからボクシングを学んだ2人はお互いの戦い方をよく知っていた。
勝っても負けてもおそらく僕にとっては最後の戦いだろう。
レフリーが誘導し、僕ら2人はリングの中央で軽く拳を合わせた。
世界中の100万人の観客はそこに何もいないかのように静かだった。
「終わったら一緒に飲みに行こう。モロッコにまずい安酒を飲ませる店がある」
僕がそういうとよしおがニヤリと笑った。
今、試合のゴングが鳴る。
~~~~~~~~~~~~~~~(イメージ終わり)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
先ほど聞こえたゴングはまさにその音だったのだろう。
どの世界でも速度は価値であり、最も単純に勝ちに近づく手段である。
高まった僕は開始早々、最後の一発である必殺パンチを撃つような心持ちで華麗にステップインした。
「いやね、僕もチェーンソウってどうなの?って常々思ってる訳よ」
「は?何言ってるんすか。嘘っすよ」
おそらく多くの人が無意識下でも相手がどのように返答するか、のイメージを持っていると思うが、この時の同僚の言葉は僕の想像を遥かに超えたもので、まさに死角からの強烈な一撃だった。
僕はタバコに火をつけるのも忘れて呆気にとられてしまった。
同僚はこちらに一切の視線を向けることなく、スマホをいじっていた。
てっきりAmazonで「現段階で合法的に所持できるベスト武器」の選別をしていると思ったが何か知らないスマホゲーをしていたようだった。
一瞬のち、猛烈な恥ずかしさが僕を襲った。
いや、職場の喫煙室で、いい年した大人がゾンビについて語るなんて恥ずかしいことだと思うよ?
けどさ、そりゃ僕ゾンビ好きだしね、テンションあがっちゃう訳じゃない?
むしろさ、こっちは乗ってあげたと言っても過言じゃないのに返答に愛がないのよ。
僕は一矢報いるべく、よろけた体制からとりあえずフォームだけのアッパーをふるうような弱弱しさで言った。
「って課長が言ってたんだよね。マジウケた」
「えっ?」
ついに同僚がこちらを見た。
僕も同僚を見ていた。
怪訝な顔、というwikipediaの項目があるなら是非、参考画像に載せて欲しいと思えるほど、完璧な怪訝な顔がそこにあった。
そうだろう。僕らの所属するチームにはそもそも課長はいないし(※別のチームにはいる)、何よりマジウケたといいながら僕は真顔だった。僕はこの時ほど自分の能力の低さを恨めしく感じたことはなかった。
「何が、です?」
「えっ、え?」
イルカのように僕の目が自由に泳ぎ回っていた。
…ァーン、トゥー、スリー…
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
気づいたら僕はダウンしていた。
開幕直後の奇襲攻撃が完全に裏目に出たのだった。
スポットライトが眩しい。
僕はリングに拳をついて力を入れた。
しかし、つま先に力が入らない。どうも脳が揺れているようだ。
顔をあげると、たかこの姿が見えた。
薄暗い観客席で、たかこのまわりだけが明るく照らされているように見えた。
いや、そんなはずはない。たかこは死んだのだ。
僕はよく見ようと目を凝らした。
あれは、たかこじゃない。ああ、そうだ。まさみだ。
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僕はタバコに火をつけて充分にゆっくり、煙を吸い込んだ。
そして、フーっとそれは長く、長く煙を吐いた。
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「頑張って!立ち上がって!!」
まさみは大声で僕に言った。
この嘘つきが。どのツラ下げて――
僕は心の中でつぶやいた。
しかし、先ほどとは変わって力が漲ってくるような感覚があった。
レフリーがエイトを数える前に僕は再びファイティングポーズをとった。
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果たして、ゾンビが好きで、一人考察を深めることは恥ずかしいことだろうか?
嘘をつくことは常に誤った行いなのだろうか?
色々な面があっていい。
そのすべてを愛せるほど大きいもので包み込んでしまえれば、それでいいのだ。
「ゾンビってさ。大量にいるじゃない?いや、だからそもそもあんな大量にいたらどの武器使っても無理だと思うんだよね。だからね。今のトレンドは逃げる。これね」
僕は一気に捲し立てるように言った。
「…ああ、そうっすか」
フフっと同僚は苦笑いを浮かべると、僕と視線を合わせることなく早々にタバコを消して喫煙室を出て行こうとした。
禁じられた4発目の必殺パンチのモーションに僕はもう、突入していた。
「高校の頃、隣の席に不美人がいて、綺麗になろうとして、周りから冷ややかな目を向けられていた」
高校2年の1学期最後の席替えで、ある女の子が僕の席の隣になった。
その子はおそらく何らかの障害で頭頂部の毛髪が少し薄かった。
そして、そのことを差し引いても美人とは言いがたく、彼女の話声をイメージできない程、無口で目立たない子だった。
彼女にはかなり仲のいい友人が一人がいた。イボガエルを上から思いっきり潰したような顔の、色の白い女の子だった。
この子はかなりおしゃべりで、休み時間ごとに遊びに来ては、昨日見たテレビの話や、なんだかよくわからない事をまくし立てるように話していた。
僕の隣の子は彼女の話を、蚊のなくようなか細い声で「うん、うん」と聞いているだけだった。
はじめのうちは声の様子から嫌々ながら彼女の話を聞いているのだと僕は思っていたのだけど、隣の子を見るとニコニコと、本当に楽しそうな笑顔で頷いて聞いていた。僕にはイボガエルの話をそんな風に聞くことが楽しいようには思えなかったのだけれど、きっとそういうのが好きな子なのだろう、となんとなく理解した。
高校2年の夏はあっという間にやってきて、気づいたら終わってしまっていた。
なんとなく慌しいような生活の中で夏休み明けの席替えが終わり、元々影の薄かった彼女の存在は教室という狭いけれど深い社会の中に同化して、そのうち見えなくなった。
僕の中で彼女の存在が再浮上したのは、年を越した1月のことだった。
おろした前髪で多少隠れてはいたが、眉毛が全て無くなっていた。
僕は、なんらかの病気の治療の影響なのかと思った。おそらく他のみんなもそう思っていたと思う。その件について話すことがなんとなく憚られて、最初、誰もそのことを口にしなかった。
だが、その推測は間違いだったのだと思う。
これまで、自分の意見を言うことなく、小さな声で「うん、うん」と頷いていた彼女が、イボガエルと廊下で楽しそうにおしゃべりをしたり、学校指定外のかばんを持ってきたりするようになった。スカートも少しずつ短くなっていった。
おそらく彼女は変わろうとしていたのだ。
徐々に彼女は陰で「般若」と呼ばれるようになった。「キモチワルイ」と嫌悪する人も少なからず、いた。ただ、人畜無害な彼女らを表立って迫害するような人は誰も居なかった。冷たい視線の中心で、彼女らは相変わらず平穏な日々を過ごしているようだった。
3年になって、また彼女が隣の席になった。
髪の毛をわからない程度に染めたようだ。頭頂部は薄いままだった。
ある授業中、隣でひょこひょこ動くものに気づいた。何かと思って見てみると彼女が椅子に座りながら膝曲げたり、伸ばしたりしていた。
おそらく足を細くするための体操なのだと思う。
僕はあの冬、彼女に何があったのか想像した。
彼氏ができた、のかもしれない。恋をした、のかもしれない。だが、なんとなく僕は、彼女が恋をするための努力を始めたのではないかと思っていた。理由は特にない。本当にただの推測だった。
彼女はきっと、これまでの人生の中で目立たない事が至極当たり前すぎて、今回の自分の変化が周囲から注目されていることに多分、まだ気づいてさえいないのではないか、と僕は思っていた。
僕が彼女の変化に気づいていることを、彼女が気づいてしまえば、それを恥ずかしく感じるかもしれない。そうして今度は目立たないための努力を始めるかもしれない。
僕は結局、高校の3年間で彼女と一度も話をしなかった。
それから8年程たった頃、僕は仕事で東京にいた。
職場の後輩がどうしてもというので呑みに連れて行った。
この後輩は大の女好きだったが、残念な事にまったくモテなかった。
2件目は彼の同級生が働いているといるというキャバクラへ遊びに行くことになった。
彼は中々の顔らしく、中へ入るとすぐにVIPルームのような部屋に通された。
後輩は、女の子が席につくのを見計らって「俺のおごりなんでじゃんじゃん呑んでな」と鼻の穴を膨らませながら言った。
先輩と紹介された僕の立場が少し悪くなった気がしたが、ここは華を持たせてあげようと思った。
「あれ、○○くん?」
隣に座った女の子が僕の名前を呼んだ。目鼻立ちの整った綺麗な女の子だった。
見覚えはなかった。
「わたし、ほら、高校の時一緒のクラスだった!」
胸元が大きく開いた赤いロングドレスは、色の白い彼女によく似合っていた。
ただ、少し窮屈そうに見えるほど、大きく膨らんだ胸がぎゅうぎゅうと詰まっていて、彼女のあざとさを感じた。
「わからないかなー」
と、彼女が少し不機嫌そうな声を出した。
ただすぐにニコッと笑いながら彼女は左手を口元に縦に置いて、僕の側に寄った。
耳打ちをするようだ。
彼女は、あの子と仲の良かったイボガエルの名前を言った。
僕は驚いて、少し無遠慮に足先から髪の毛に至るまで彼女の全身をもう一度見直した。
イボガエルに胸があったかどうかは覚えていないけど、顔は確実に別人だった。
「セイケイしたの」
彼女はもう一度、そう僕に耳打ちをした。
整形か。僕は納得して、またすぐに驚いた。ここまで変われるものなのかと。
彼女は屈託なくニコニコしていたので、もしかしたら整形は公然の秘密なのかも知れない。だが、もしものことを考えてその件についてはその後、努めて話さないようにした。
彼女は懐かしむように柔和な態度で僕に接した。でもそれがなんとなく居心地悪かった。
それからしばらくして高校の頃の別の女の友人と会う機会があった。
僕らは渋谷のオープンカフェで待ち合わせた。しばらくは近況を報告し合っていたのだけれど、何かのタイミングで僕がイボガエルに会った話をした。
目の前の彼女は、ふん、と小馬鹿にしたように笑った。
「なんかめちゃくちゃ整形しまくってるらしいね」
彼女とイボガエルは小中高と同じ学校だったらしく、卒業した後もSNS上でしばらくは交流があったとの事だった。
全く知らなかったがイボガエルはある男性アイドルの大ファンで、彼のおっかけをしていたらしい。
「それがもう大変でさ。そのアイドルと付き合ってるって思い込んじゃったみたいなのよね。テレビで女のタレントと話しただけで、SNSにリストカットした手首の写真とか載せたりして」
知識としてしか知らないがそういう子達は世の中に間々いるらしい。
「ほら、同じクラスに仲いい子がいたじゃない。般若とか言われてた。あの子が亡くなってからそういうのがエスカレートしたみたいで」
般若。高校2年生の時、隣の席に座っていたあの子の事だ。顔はすぐに思い浮かんだが、名前が思い出せない。
「それからはすぐに上京したみたい。水商売始めて整形しまくって。アイドル関係で結
構大きな事件もおこしたみたいで、ネットでも有名らしいよ。あの子」
「いつ?」
「え?多分二十歳くらいだったかな。ホントに有名になっちゃったから成人式でも話題だったもん」
「いや、あの…般若って呼ばれてた子が亡くなったの」
「え、んー。1年くらいかな。高校卒業して」
帰りの電車は遅い時間だったせいか、ポツリ、ポツリと人が乗っているばかりで、ガランとしていた。友人とはその後、共通の知り合いがやっている居酒屋に呑みに行った。東京での生活に大分疲れているようでしきりに地元に帰りたいと言っていた。
僕らは今度、イボガエルの店に遊びに行く約束をした。彼女は「ビックリするかな」と言って、ニシシと意地悪そうな顔で笑った。僕は、「多分君の方が驚くんじゃないかと思うよ」と言って別れた。
僕は誰もいない電車のシートの端に座って、ふぅと息を吐いた。
あの子が亡くなったと聞いてから何度も名前を思い出そうとしたけど結局できなかった。
僕はあの子のことを何も知らない。好きな食べ物の事も、あの時何故あんな突飛な事をし始めたのかも。
高校卒業を控えた3学期、僕は殆ど学校に行っていなかった。
秋ごろには早々に進路が決まっていた僕は、卒業するのに充分な出席日数を既に取得していたため学校へ行く理由が特になかったのだ。
ある時、友人と遊ぶ約束があったため図書室で借りていた本の返却がてらに登校した。
私立受験組のために授業の殆どが試験対策か、自習だったので、結局僕は授業を受けずに図書室で本を読んでいた。その時、しん、とした図書室にあの子がやってきた。
あの子は僕が座っていた大机のはす向かいに座った。
僕らは話もせず、視線も合わせず、黙々とそれぞれの本を読んだ。
そしてそれが僕の記憶の中での最後のあの子の姿だった。
彼女はその人生でどんな恋をしたのだろうか。なりたい自分になれたのだろうか。
例えばもし、彼女が生きていて今この瞬間に目の前の電車のシートに座っていたとしても、きっと僕は話かけたりしないのだろうと思う。そしてきっと彼女もそうだ。僕らは確かにそういう関係だった。
けれど、僕は高校卒業後もあの物静かな女の子のことを時々思い出した。
何かのタイミングで彼女の話を誰かにしようとしたこともあった。
だが、結局誰にも話さなかった。
「高校の頃、隣の席に不美人がいて、綺麗になろうとして、周りから冷ややかな目を向けられていた」
話にすれば、それだけのことだ。
ただ、今思い返してみても僕は確かにあの時、彼女の変わろうとする意思を、とても美しいと感じていた。