午後、6畳の部屋は薄暗く、僕はソファに本を置く

本ブログはフィクションですが、一部隠し切れない真実を含みます。

妻帯者でも青春ラブコメがしたいっ!

先日、会社の同僚にふと、萌えについて尋ねたところ、「喧嘩したいんですか?」と返答があった。

もちろんそんなつもりはないので、なぜそんなことを言うのか、と尋ね返した。すると同僚は「僕の萌えは、綾波レイです」と答えた。

 

エヴァンゲリオンのヒロインの子だ。

藤原基央がこの子のためにアルエを書いたのとパチンコではSP前に出てくるとアツいということくらいしかしらない。

可愛くないし、貧乳だし、愛想悪いじゃないか。

はっ!?

 

「なるほど」

「ね?」

僕も気付いた。これは喧嘩になると。

 

「アニメとか見ます?」

同僚が僕に尋ねた。

「いや、僕は」

正直あまり見ない。大人になって見たのはカウボーイビバップと、化物語くらいなものだ。いずれもパチンコで知って興味を持ったものだ。だからこそ、昨今の萌えブームがどんなものか知りたかったのである。

 

「深いですよ。こちら側に来る覚悟はありますか?」

いやいや、何を言っているんだろうか。

同僚の顔がいつになく真剣だったので思わず笑ってしまった。

「アニメ初心者ですよね?なら、とりあえず青春ラブコメものをみた方が手っ取り早いかな、と思います」

ばかたれが。僕ぞ?青春ラブコメに悪感情はないまでも自分がはまり込むように思えなかった。ゾンビが蔓延する世の中で生死を賭けた青春ラブコメがあるなら、まだわかるが。

「ありますよ。ゾンビの青春ラブコメ

「え?」

ゾンビが蔓延する世の中で生死を賭けて青春ラブコメする意味がわからない。

なるほど。深そうである。

その後、帰り際に同僚はオススメのアニメをいくつかメモに書いて渡してくれた。

帰宅後、Amazonプライムで視聴した。

 

結果から言うと最高だった。

世の男性の嗜みとして青春ラブコメを必修化すべきだとすら思った。

それから僕は持ち前の集中力で青春ラブコメを見狂った。2週間で30作品くらいは消費した。

 

同僚には感謝を伝えた。いや、もう同僚ではない。マブダチである。

「どうです?深淵、見えました?」

マブダチが僕に尋ねた。

 

正直に言うと、まだ見えていない。

最高に楽しかったが、底なしを感じることはなかった。

はっきり言ってどの作品も似たり寄ったりだと思った。

そもそも、青春ラブコメはすでにある程度のテンプレートがあり、茶髪の清純系幼馴染や、ピンクの髪のふんわり巨乳先輩のようなお決まりのキャラがいて、ほとんどの場合でメインヒロインと付き合うことになるし、各作品独自の楽しみといえばキャラのやり取りや設定による微妙な差くらいしかないのではないか、と思う。

 

僕の言葉をゆっくりと待つと、舐った(ねぶった)当たりのアイスの棒を口から差し出すように勝ち誇った顔でマブダチが言った。

「ではなぜそれが楽しめるんでしょうね?」

はぁっ!?

 

なるほど。これは古典落語のようなものか。

ほとんど同じようなストーリーでも演者の立ち振る舞いや、機微、パーソナリティを楽しむような、奥ゆかしい娯楽。

深い、深すぎる。

 

僕は膝をついて元マブダチの顔を見上げた。

そう、彼は。いや、このお方は師匠である。

僕が今進んでいる道をもう遥か昔に通り過ぎている。

 

「し、師匠、僕はこの先何を見ればいいんでしょうか?」

「そうですね。もう一回、同じ作品を見てみましょうか」

「同じ作品、ですか?」

師匠によると、もう一回見ることによって作品への理解が深まり、愛が芽生えるとのことである。

僕はもう師匠に逆らう気などなかった、が、見直しなどセンター試験でもしたことがないので、その気持ちだけはここに置いておこうと思った。

「時間の無駄なんではないでしょうか」

師匠は慈しみに満ちた優しい眼差しで微笑んでいた。

「急いては事を仕損じる。必ずわかります。気持ちを持って施った(おこなった※こんな読み方はしません)ことに無駄なんてありません。信じてください」

僕はさらに3日をかけて厳選した3作品の見直しを行った。

 

結果、僕の胸の中には愛が満ち溢れていた。青春ラブコメへの愛が。

 

僕は勇んで師匠の元に向かった。

この愛の行く末を教えて欲しかった。

 

「次は身近な人をキャラに置き換えて萌える練習をしましょう」

いや、師匠。それは流石にない。

僕は一瞬にして覚めた。

 

「残念だけど、僕はまだキャラのテンプレートを愛するには至ってないんだよね。萌えるってのもイマイチわかってないし。可愛いなぁ、みたいな感じはあるんだけど、それって絵も込みで可愛いなぁ、だし、現実の人をキャラクターに当てはめるとか、そういうのじゃないんだよね」

「そうですか。どんなキャラが可愛いと思いました?」

それは、やっぱり、ピンク髪のゆるふわ巨乳先輩系のキャラだ。幼馴染系も、まぁ好きだが1番ではない。絶対にないのは、ボーイッシュ系。メガネっ娘、年下の背の低い系も好きではない。

「やはり、ですか。じゃあ自分が青春ラブコメの主人公になったとしてメインヒロインになる子はどんな子だと思います?」

師匠は不思議なことを言う。

ついさっき好みのタイプを言ったではないか。

「え?それはやっぱり」

「考えてみてください。青春ラブコメのテンプレストーリーの中で紆余曲折あって最終的にくっつくメインヒロイン。果たしてそれはゆるふわ巨乳先輩ですかね?」

なるほど。確かに。

僕は好みのタイプの子にはガンガン行くし、どちらかというと自分に向けられる好意には敏感な方なので、ゆるふわ巨乳先輩が第1回から僕のことを好きだとすると、1クール持たない。多分初回で付き合ってしまう。

それだと僕が思う青春ラブコメではない。

理想は7回くらいまでに紆余曲折ありながら、ヒロインと付き合うことになり、第8回はラブラブ回、第9回でそれまで初回から存在を匂わせまくった親から決められた僕の許嫁が現れ、嫉妬に狂ったヒロインと不仲になるのがいい。そして第10回で2人の亀裂は決定的になり、11回でも距離は縮まらず、迫ってくる卒業式。残す2回。2人はどうなってしまうのか。

 

初回の僕の猛烈アタックを切り抜け、7回まで引き伸ばしてくれる辛辣さ、しかし、離れてしまった第10回以降も一途に僕の事を好きでいてくれる芯の強さ。これらを兼ねるキャラとは。

「ツ、ツンデレ、ですか?師匠」

師匠の方を見ようとするが眩しくて顔が見えない。指している。後光が。

「そうです。私が知る限り奥さん、そんなタイプですよね?」

僕は元師匠の顔を拝むことを諦めて、心のままに平伏した。そう、このお方を師匠と呼ぶのは恐れ多い。正しくは人の形をした神である。

「萌えとは何か?あなたが聞きましたね。さぁもうこれで答えが出たでしょう。私が出来るのはここまでです」

 

家に帰ると妻が夕飯の準備をしていた。

僕はドキドキしていた。

ラストである第13回。卒業式の後、2人はお互いの想いを伝え合って復縁したのだ。そしてその物語の続きに今、僕はいる。

「ねぇ、わかったんだけど、もしかしたら僕、ツンデレ萌えかもしれない」

僕は開口一番に伝えた。

「え?なにそれ」

そうだ。間違いない。僕はツンデレ萌えだ。

 

思えばアニメを見ていてもツンデレキャラだけは目に入っていなかった。なんというか、もう家族みたいなものというか。貧乏性を発揮して、どうせならあんまり知らないキャラクターを見よう、見ようとしていたのかもしれない。

考えてみたら完全にテンプレにはまったような見事なツンデレなのだ。うちの妻は。

僕は妻への愛の理由を再確認した。

僕は彼女の細い輪郭に手を伸ばした。そう、彼女は僕の妻である。

「ねぇ、今晩さ」

 

その後、メチャクチャ拒否された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハゲることについて僕たちが学ばなければならない事

タンポポの綿毛を想像して欲しい。

まだ風に吹かれていない、ふっわふわの白くて丸いあれだ。

それを人の頭ほどの大きさに拡大して欲しい。


準備出来次第、次は嫌いな人のことを思い浮かべて欲しい。

そいつの顔、声、言動、むかついたこと、それらに踏みにじられた自分自身を思い出して欲しい。

そしてその流れで、大きな、それは大きなため息をついて欲しい。


するとどうだろう。目の前のタンポポの2/3ほどの綿毛が花弁からはずれてふわり、ふわりと流されていったことと思う。


次に右を見て欲しい。

特に何もないかもしれないがとりあえずそれでいい。

左側から誰かに名前を呼ばれて欲しい。

もちろんそちらに顔を向けると思うので右から左に振り向くまでに唇を尖らせて一息に息を吹いて欲しい。

大丈夫だ。準備する必要はない。特に意識しない状態で、肺の中にあった息を細く吹き出してもらえばよい。

すると、タンポポはほぼ丸裸になっているのではないだろうか。


色味やつくりの違いはあると思うが、完成したそれこそが僕の父の頭髪のシルエットである。


以前も言及したことがあるが、僕の父は薄毛である。

が、つるつるではなく、タンポポの綿毛程の細く、繊細な毛が、空気を多く含んだような状態でファッサッと頭に乗っているイメージで、本人としてはスプレーなどの文明の利器を用いて一応の形を作るため、体裁自体は整えている様な雰囲気を出すのだが、中身はほぼ空気のみで構成されていることが一目両全であるため、先に骨組みだけを組み立てた従来工法の民家がそのまま20年放置されて野ざらしになったような寂しさを漂わせている。


僕が父を父として認識した時から多少の密度の違いはあれど、だいたいそのままで現在に至っている。


小さい頃に見ていた彼の朝の準備の様子は5~10本ほどの毛束をまとめては組み立て、一定の盛り上がりを作るような綿密な作業であったため、本人としても自覚があり、コンプレックスは感じているものと思うが、あのぐらいの年代のおっさんは無駄にイキってくるのでまるで自分がハゲていないようなオーラで他人の頭髪の状況にコメントしてくることがある。


「あのハゲ方はやばいな」

お前もな、待ちであってほしいが隣の父を見ると、警察官を退職後に私立探偵を始めた老齢の紳士のような顔で、他人の毛穴の死亡を確認しようとしているので、人間というのは自身の願望で簡単に認知が歪むものなんだなぁと気づかされる。

僕以外の人前でこれに類する発言をしないように父には強く言い置いている。


さて、ハゲ方にはいくつかのパターンがあるように思う。前から強く風に吹かれるか、上から滝に打たれるか、男性型薄毛の場合は大体そんなものじゃないだろうか。

その中からさらに残った木々の太さと生えている間隔がどうかというような問題がある。


我が父の遺伝子の場合、前から吹かれ、木は細く疎らである。

自ら率先してハゲたいとは思わないが、どうせハゲるならこの方が助かる。

前にも書いたが僕はハゲたら髷(マゲ)を結うつもりなので都合がいいし、下手に残った毛が元気だと残念で仕方ないからだ。というか元気な場合、心残りが酷くて横髪を伸ばして上に被せるかも知れない。ああ、そうか。こうしてバーコード型が生まれるのか。


僕と父は一時期、毎日一緒に飲み歩いていたので、その中で何度か髷を結うことを提案したことがある。父によると結うまでの過程で必ず落ち武者時代が発生してしまうことだけが気がかりで、それ以外は案外乗り気だった。もし街で髷を結ったおじさんを見かけた場合、僕の父か、若ければ僕であるの可能性があるのでその時はよろしく伝えてほしい。


髷以外にも父には何度かカツラの着用を提案したことがある。父くらいあからさまにハゲていて、よくそれをネタにもするお茶目な性格なので、周りも案外、「あ、お被りなされ始めたんだ」くらいの反応しかしないと思うからだ。

だが父は、髷の時の好感触と打って変わって全身からミサイルの発射口を開くような戦闘態勢になり、頑なに拒否した。

カツラというワードがまずかったのかも知れない。ならば植毛はどうだろう。


森、というものは自然に木々が生えている様を言うらしい。父のそれはもう遥か太古の時代に森だった場所というだけで今はタンポポが1~2本生えているだけの荒涼とした岩地だ。

林、というのは人間が管理して木々が生えている様を言うらしい。岩場耕し、もう一度木々を植える。かつての森が林になるだけでそこに木があるということに違いはないではないか。

そう、僕は父に説明した。

すると、父は言った。

タンポポはどうなる?遥か昔からその場所に咲いていたそのタンポポは。嵐が吹いても森林伐採の憂き目にあっても、彼らだけはその場所でじっと堪えていたんだ。それを俺の手で摘むことなんてできない。今は彼らの場所なんだ。そっとしといてあげてくれ。

なるほど。そういうことなのか。
僕は乱暴に合理性を主張していただけで、タンポポを慈しむ、美しい心を忘れていた。もうそれ以上返す手がなかった。

まぁ、よく考えたら全て例えばの話でそこには可愛いタンポポなど生えておらずヒョロンとしたおじさんの細い毛があるだけなのだが。

父の頭の上でふわふわしている埃のような毛は父の中では誇りだった、ということなのだろう。


僕はまだ一線を越えたことがないのでその先は大体同じような景色なのだとばかり思っていたが、一線越えてからもどうも色々とあるらしい。

僕もまだまだ学ぶことがたくさんあるのだ。

暇を持て余した、男1人の遊び

ある日、僕は暇を持て余していた。
妻は外出をして家におらず、予定もなく、大したやる気もなかった。しかし、休みを寝てすごすのはもったいなさすぎるというぼんやりとした概念だけが宙空に漂っており、僕はそれを潰すようにぽちぽちとコントローラーのボタンを押していた。
無駄に大きいプラズマテレビの画面は、全くその性能を活かすことなく、数年以上前のマジックザギャザリングのゲームを表示していた。
オンラインをするにももうプレイヤーがいなくなってしまったので 、CPUとの予定調和なつまらないやり取りをしているだけだ。CPUのドレイクトークンが必死に攻撃をしかけてくるが、盤面に濃霧の壁がある限り、僕に攻撃は通らない。無意味な攻撃のアニメーションを見ていると海底の底から上を見上げてポコポコと泡を吐いているような途方も無い気持ちになった。

僕はコントローラを置いて、ソファに横になった。

何か大それたことを考えよう。

楽しくなくてもいい。とにかく大それた状況に自分が置かれたとしてそこからどうやってそれを解決するのか想像してみよう。

と、すると、よくない状況の方がいいのではないだろうか。
いつか、なんかの漫画家が「物語は考えうる限り最も悪い状況に展開させています」と語っていた。その方が読者としては面白いことになるらしい 。

では考えてみよう。今この状況で最も悪い展開は何か。

 

このまま、妻が帰ってくるまで暇で、気付いたら寝てしまっていることだ。

 

「まずいっ」
僕は上半身を起こした。
これは臭うぞ。
そうなる予感がする。何かしなければ。

僕は部屋の中を見渡した。
音はない。いつも通り整頓された、可も不可もない状態だ。

掃除?

家事をすれば帰ってきた妻は喜ぶかもしれない。
手の込んだ晩御飯を作ってみてはどうだろうか。

僕は立ち上がって冷蔵庫を開いた。半分になったたまねぎとビール 、その他適当な食材が並んでいた。僕はすぐに冷蔵庫を閉じて思い出した。

違うのだ。僕はやる気がないのだ。
食事を用意するというような意識の高い大人ではない。
今の僕においてはそれさえもハードルが高い。ましてや妻の機嫌をとろうなど、聖人の考えだ。食事を作るくらいなら空腹で死んだ方がまし、とまで言える心持ちのはずだ。

 

また僕はソファに横になった。

いや、違う。僕は確かにやる気はないが、それほどやさぐれた気持ちではなかったはず。とにかくやるべきことが見つかればそれに集中できるはずだ。

何かを考えてみよう。


例えばこの状況でゾンビパンデミックが起きたら僕はどうするだろう。
まずは妻に電話をする。携帯はつながるだろうか。妻と連絡が取れたなら妻を迎えに行こう。道中なにかあってはいけないので武器が必要だ。包丁はだめだ。リーチが短いし、柔らかい腹部を刺してもゾンビには効かない。しかし、見た目が与える印象はかなり強い。包丁を持って街を歩くと正常者から無意味な攻撃や警戒を受ける可能性がある。できればゾンビの脳幹にダメージを与えられるもので、かつ、見た目の印象が悪くないものがいい。バールか?しかし 、うちにはない。思えばうちに武器らしい武器はない。
と、すると、できるだけ不慮の事故が起こらないように防御を固めて、足早に逃げてしまえばいいのではないか。冬服を着込んでサバゲーで使ったフェイスマスクを使おう。フェイスマスクが自然か否かはこの際問題ではない。
と、いうか設定が甘くないか?僕はこの状況でどうやってゾンビパンデミックに気付くんだ?隣の家の人がわかりやすく暴れだしたりとかそういうことだろうか。
だとすると僕は妻より先に警察に連絡する。
と、いうかパンデミックなんか起きなくないか。噛まれることで感染するんだろう?感染スピードが遅すぎる。同時多発的に各地で起きる理由がない。ちょっとしたパニックになったとしても情報化社会の現代ではすぐに鎮圧されてしまうだろう。
だめだ。現実的じゃなさ過ぎる。まったくつまならない。

 

僕は目を閉じた。

僕を最悪の状況に巻き込むとするなら。

奇想天外である方がいい。僕がまだ知らない未知の出来事を。

 

スナイパーはどうだろう。

僕はこの部屋で寝転んでいるが実はスナイパーに狙われている。現実的ではない。しかし、それに重みを持たせるためには?

おそらく病気だ。僕は精神的におかしくなってしまっているのだ。空想上のスナイパーを怖がって引きこもってしまったのだ。

この設定、何か面白みはあるのか?例えば映画であればどうする?ここからどう転ばせたら面白くなる?おそらく視聴者は早い段階で主人公の病気を想定するだろう。一般人がスナイパーに命を狙われるのは現実的ではないからだ。だとすると、何かどうしようもない設定を盛り込むか?マフィアの金を持ち逃げしたとか、革命家であるとか、だろうか。

 

「違う」

こういう設定とかメタい話ではない。僕は最初から設定を設定であることを忘れて、その世界に入り込んで最悪の状況を乗り越えたいのだ。

未知の出来事は難しい。設定を練らなければいけないので物語の扉の先で一登場人物になりきることができない。

 

僕は目を閉じたまま深く呼吸をした。

いい。もういい。綺麗な景色を思い浮かべよう。僕が美しいと思うものは何か?星が浮かんだ夜空だ。多分、空気は冷たい。おそらく凍えるほどに。だけど僕はそれを心地よく感じている。そうか、ぼくはかなりの防寒をしているのだろう。そう、長い距離を歩いてここにたどり着いた。火照った顔を夜風で冷ましている。そして、厚い雪の層の上に倒れこんで、空を見上げているのだ。

吐く息がシャリシャリと微かな音を立てて地に落ちていく。

そんな経験したことがない。南極なのか北極なのか、ここがどこかは知らないが、多分それに近しい地の果てのどこかだ。

もしかしたら死ぬのかもしれない。だけど嫌な気はしない。達成感が心を満たしている。

力が抜けている。おそらくこの人生の中で1番リラックスしている。

星空がこんなにも綺麗だと思ったのはいつぶりだろうか。小さい頃に家族で行ったどこかの高い山から見た星も綺麗だった。

だけど違う。

僕にとって1番綺麗だと感じた夜空は雪が降った後の東京の夜だ。

あの頃はまだ貧乏でプレッシャーから押しつぶされそうで、誰も味方がいなくて、地元から一緒に上京したあの子だけが僕を信じてくれていた。

まだ誰も歩いていない雪道を2人で手を繋いで歩いた。あの時の星はどんよりとしていてお世辞にも美しいとは言えないけれども確かに輝いていた。

あの子は元気にしているだろうか。

気が強くて料理が下手な子だった。

だけど1番辛かったあの時期を彼女は確かに導いてくれていた。本当に心が繋がることができた女性はあの子だけかもしれない。

あの子には酷いことをしてしまった。

成功に浮かれていたんだ。

独りよがりのナルシズムではあるのかも知れないが、あの子が今、幸せでいるか心残りだ。

だけどもう、それを知ることは今の僕には出来ない。

そうだ。もしもあの時、僕があの子と別れていなかったら何をしているだろうか。その先をイメージしてみよう。

きっと日本にいて、地元に帰って似合わないスーツを着てサラリーマンなんかをしている。おそらく尻に敷かれて財布の中身まで管理されているんだろう。

子供はいるだろうか。わからない。居てくれたら楽しいが。ただ、まぁそうじゃなくてもきっと楽しく過ごしているだろう。

そうだ。あの子と過ごしていたかも知れない未来を物語にしてみよう。夢に敗れたサラリーマンの僕があの子と過ごす何気ない毎日を綴るブログにしよう。もしかしたらあの子が読むかも知れない。

タイトルに本を絡めよう。あの子は気付くだろうか。あの瞬間を思い出してくれるだろうか。

僕が本を読んでいるとあの子がいつも部屋の蛍光灯をつけてくれた。僕は気づかなかったんだ。夕方を過ぎて、薄暗い部屋に。それほど読書に集中していた。

あの子が僕に声をかけて、やっと時間が動き出す感じ。あれを書いてみよう。

妻にバレないように、僕は想像の中でもう一つの結婚生活をおくろう。ブログを書いている時だけは設定であることを忘れて、一庶民として、物語の中の主人公として生きよう。

そのブログのタイトルは「午後、6畳の部屋は薄暗く、僕はソファに本を置く」にしよう。

 

「寝てるの?」

気づくと妻が帰ってきていた。僕はソファで寝てしまっていたようだ。

「ちょっと待って。悪いけど今話しかけないでもらえるかな」

僕は慌ててスマホを探した。

さっき夢うつつの中で見たものをとにかく文字にして残したい。とっても面白いアイディアだ。後から見直したら別にそうでもないのかも知れないが、現時点ではかなりの手応えを感じた。

 

現実を自分が考えた設定であると思い込んでしまう男の話。

 

「は?何その言い方」

妻が怒っていた。やらかした。

「あーごめん。今面白い事考えたから記録しておきたかったの。すごくややこしい話だからどうすればいいか結びを練りたくて」

「いや、意味わかんないし」

「うん、ごめん」

妻は肩を竦めて、まるで外国人がするような大げさなジェスチャーをした。もうこの話はおしまい、という意味だ。

そう、もうこの話は終わりだ。

何が事実か、曖昧なまま終わらせてしまおう。

意味がわからない?

なら、ヒントをあげよう。

意味などない。これは遊びだ。

 

 

 

20代の夫婦が高級外車を買った結果wwwww

僕と妻はそれぞれ1台ずつ車を所有している。


僕らが住んでいる地域では電車は30分に一本程度しか通っていないので、ごくあたり前、というよりそれしか選択肢がない。


東京からこちらに越してきた直後は電車もあるし、自転車でよくないか、と話していたんだけど、ある雨の日に自転車で通勤し、この世界の理不尽に気付いたらしい妻からの強烈なプッシュによって国産のコンパクトカーを新車で購入した。

 

僕は電車通勤でかつ、駅も近かったことから、特別に必要であると感じたことはなかった。

しかし、そこから更に引越し、駅が遠くなったことで、僕もある雨の日にこの世界の理不尽からの洗礼を受け、2台目の購入を決意した。


その頃には僕達の生活も安定し、収入もそこそこあったので、僕らの好みである大型のSUVを購入しようかと話した。しかし、本当のことを言えば、僕としてはまだ冗談半分程度の軽い気持ちだった。大型のSUVの新車はかなり高い。維持費もとんでもないと聞く。

生活と天秤にかければ分不相応、とは言わないまでも、プライオリティは低いとすぐにわかると思っていた。


だから、ある休みの日に試乗に行こうと誘われた時は驚いた。行くのは全然問題ないし、試乗もいいが、あれ、本気だったのか、と。

知らない人もいると思うので説明しておくと、僕の妻は最強に気が強いので、ここで行かないという選択肢をとった場合、とんでもないことになる。モラルハラスメント?ああ、あの四天王でも最弱のヤツの話ね。


ここでの正しい対処とは、「彼女自身が現実を直視し、さすがにここまでは必要ではないと気付くこと」である。二つ返事で日本を代表する車メーカーの販売店へ向かった。


試乗してよかった、と思った。

正直、ちょっと違った。もちろんいい車ではあるのだが。日本を代表するメーカーを代表する大型SUVと言えば、車好きな人はわかると思う。

それと、それのマイナーチェンジモデルと言えばいいのだろうか、少しコンパクトになったモデル、そしてその年に販売終了が告知されたデザインが可愛いSUVに試乗した。

前2台は乗り心地はとてもよかったが前面からの見た目が好みではなかった。

最後の1台はデザインは好きだったが後部座席が狭すぎるのと、フロント部分が独特で視界がよくなかったため断念した。

 

そもそも、僕らの生活で未舗装の山中や岩山を走るような機会はないので、オフロード性能はそこそこでよい。ビーチからジェットを引く機会はあるが、馬力的な部分で言えば軽の4駆でもまったく問題ないので、デザイン以上にSUVに乗る理由がない。
ならばSUV以外も検討すればよい、という意見があるのはもっともだが、キャタピラの方が合理的なはずなのに、この世に2足歩行の巨大ロボットアニメが蔓延していることを思えば、見た目がかっこいい、は十分に存在する理由になりえると思っている。
しかし、今回の場合はそのデザインが不満点を超えてこなかった。

 

ついてくれた営業の人に、やんわりとその旨を伝えると、「まぁ最初から君達みたいな若い夫婦が買う訳ないと思ってるけどね」的な雰囲気を出されたのは心外だった。被害妄想なだけであってほしいが。


改めて今一度伝えたいのだが、我が妻は最強に気が強いので雰囲気だけであっても他人からそのような態度を取られた場合、必ずキレる。


昔、某ネズミの海に行った際にトイレに行って、なかなか戻って来なかったので探しに行くと、肩がぶつかったらしい女子高生と喧嘩をしていた。
あそこは魔法の国なので、物理攻撃は無効化されるものだとばかり思っていたが、彼女においては暴力さえもファンタジーであるのだとその時知った(※実際は平和的解決をしております)。

 

僕は彼女がキレていることに気づいていたが、知らないふりをして車に乗って帰ろうとした。

「あれよりいい車って何?」

ドアを閉めようとした時に妻が言った。
ごく当然にその時の僕は首根っこを掴まれた濡れた子犬のような状態だったので、とても素直に回答した。

「国産のSUVではトップクラスだからねー。
外車とかになるんじゃない?」

「かお」

「かお?」

何を意味しているのかわからなかったため、聞き返しながら妻を見た。


妻は、車を出せ、と顎でサインした。

外車の高級SUVを買うぞ、ということである。

 

シューター系のゲームの上手さを測るための基準は結局、勝率ではないかな、と思う。
しかし、勝負となった時に勝率が高い方が必ず勝つわけではないように運もあれば、気分もあるし、仲間の状態、相性なども影響して勝ったり、負けたりはあると思う。
プレーヤースキルという意味で見るとその要素は様々存在する。
エイムの上手さ、立ち回り、状況把握/予測能力の高さ、仲間に対しての働きかけ方など。

 

これはゲームに限らず、仕事でも言える。

仕事の評価の絶対値が売り上げであったとしても、個々の能力については処理の早さもあれば、発想の独創性、人間関係を上手く取り持つ人など、評価されるべき項目はいくらでも存在して、それが一つ一つは薄くとも、何層にも重なって結果につながることが有り得る。

 

そう、とにかくこの世のほとんどのものが、色んな要素を勝ちや価値に変換することで結果となり、誰かから評価される仕組みとなっている。

 

しかしこれが、人生の生き方ということになると、途端に評価が難しくなる。
最終的な結果はみんな等しく、死、であるはずなのに。
人生というものは結果ではなく、過程が重要であるのかもしれない。
どのような道をどの瞬間に歩いたのか、そしてその軌跡はどうだったか。
けれど結局、一人の人生をみんながそれぞれ評価しようとしても、見る人によって大きく変わってしまうだろう。
それは、生きている意味、という絶対的な評価基準が一人、一人異なるからだ。


あれからもう3年くらい経つのだが、未だに当時買った車のローンを支払っている。
親族からはとても怒られた。
いや、わかる。ごもっともだ。
バカ、と言われるのもとてもわかる。その通りだ。

 

もし、同じような境遇の夫婦があの車を買おうとしているなら、普通に考え直すようアドバイスする。そしてリッター8kmくらいしか走らないことを伝えたい。あと、海外旅行は当面先になることも。

 

ただ、選択としての後悔はほぼない。
何よりとても気に入っているし、若いうちにあの車に乗る、ということにとても価値を感じているからだ。今は今しかないので、後からなんて取り戻すことは絶対にできない。

若気の至りという言葉があるが、逆に、若くなければ至れないともいえるので、何に価値を感じるか、他人に迷惑をかけないのであればそれは自由だ。
だから僕はとても満足している。あの車が僕の人生を生きる意味であるというつもりはまったくないが、僕達の価値観に従順でいられたことに。

 

唯一の後悔、というか不満点、というか妻への愚痴を言うとするなら、僕の車を買いにいったはずなのにその車は主に妻が乗っているということだ。

 

結果、妻の職場では僕は年上の医者ということになっている。

 

 

 

 

 

●今時点の感想など181108

ブログの作成にかなり期間が空いてしまった。

理由は仕事で南極に調査に行っていたからなんだけど、もちろんまったくの嘘なので、嘘ついてごめんなさい。

本当は野山に熊を狩りに行ってただけです。嘘です。


今回は長編をとりあえず書けたのですごく満足感がある。

マジで苦しかったけど書いてよかったなぁと今のところは思っている。魂が削られた感があるので今のままじゃコスパ悪いし、多くの人に読んでもらいたいという欲も出てきている。

どうにかしたい。

 

あと、言ってないけど●がついてるタイトルまでは1つのブロックみたいに思っていて、こちらで勝手にバランスを考えている。

 

各記事について。

 

しあわせはうまいぼうのかたち、について、まず言わなければいけないのはタイトルはある小説のオマージュであるということだ。

特に意味はないので気まぐれでつけた。ストーリーについては意味がわからなかった人もいるのではないかな、と思う。

事実を元にしているが、オチは創作というかネタ?とりあえず深く考えず楽しんでくれたら嬉しい。

文体としては擬音を多用することを心がけた。

ちょうどこの頃シュガーベイブダウンタウンを聴いていたので軽い読み口にしたかったんだけど、もっとできたよな、とは思う。

僕としては結構気に入っているが後述するけど論理系オチはもう少しわかりやすく、パンチを効かせないとだめかもしれないと思っている。

 


バチェラージャパンのやつはなんか散文感がいいかなーと思ってよく考えずに書いた。

いやほとんどのものであんまり考えてはいないんだけど。

ちなみにオチの歌詞の引用という部分は申し訳ないけど嘘である。

ミネタカズノブが主演したアイデンアンドティティという映画の中でボブデュランのライクアローリングストーンが局所局所で出てくるんだけどそれを僕的に曲解するとこういうことになるってことなんだよね、ってこと(※Boxing ch)。

引用してもらっていいが、僕の言葉なのでかっこつける場合は注意して欲しい。

なにより怖いのはそれ以外はこの話自体、全て実話であるということだ。

 

 

 

トイレでの1件、については結構強めの脚色がかかっている。

と、いうのもどうしても論理、推理系の記事を一つの持ち味として研究したいと考えているためだ。

名探偵のやつ、天才と恋について、うまいぼうのやつらへんが兄弟なのかなあと思っている。

むかーしyoutubeで見たガキ使のフリートークでまっちゃんが「UFO、未来人説」というのを披露した伝説の回があるんだけど、おこがましいけど目指しているのはアレ。

だけどそもそも、論理系は読める人が限られるし、かなりおもしろくないと厳しいと思うので、今後するとしたら「おっぱい」くらいのキャッチーなキラーワードを盛り込む必要があると思う。

オチについて言及すると、口笛で吹いていた北斗の拳の曲のタイトルは「愛を取り戻せ」であるということ。受け取り方は任す。

 

 

 

もしもあの頃に戻れたら、については前から書きたいなあとは思っていたし、一度書いたことはあるんだけど、熱が冷めた状態であの瞬間は表現できない気がして没にしたものを再構築した。

一度冷めたらもうだめだと思うんだけど、これについては明確にきっかけが存在して書く気になった。

 


それは、ある女性からSNSを通じて結婚報告をもらったことである。

もう先手をうって言っておくとこの女性はあの記事の女性とは別人だ。さらに言うとこの女性とは本当に数えるほどしか会ったことがないし、お互いおそらく恋愛感情のようなものはなかったと思っている。

最後に会ったのも数年前だ。

だからこそなぜ彼女がわざわざ僕に報告をするのか意味がわからなかった。彼女のメッセージは、結婚することの報告をして、少し寂しい、と結んでいた。ただ、それだけの短いメッセージだった。

 


いや、これね。正直諸説あると思ってて、いろんな風に受け取れると思うのよね。

けど結局、深読みしても真意は本人に確認しないとわからないし、真意を確認したところでどうなる気もないんだよね、こちら的には。

というか、彼女的にも別にどうにかなろうなんて考えていなくて、真意とかもきっとあやふやで、自分でもよくわからない心のモヤモヤを僕にぶつけてみようと思ったんじゃないかなぁと思った。

 


だから僕は別に彼女自身に言葉をかける必要も、アクションを起こす必要もなくて、ただ、バス停のベンチのように、腰掛けた彼女が次のバスに乗るまでを黙って見届けたらいいんじゃないかなぁと考えた。

 


僕は結局何もしなかったんだけど、その後も彼女の気持ちをいろんな風に想像した。

 


僕と彼女が知り合ったのは僕が東京に出てきてすぐくらいの時で当時彼女はまだ高校生だった。

僕が中心となってしていたある集まりの中のメンバーだった。当時から僕は今の妻と付き合っていた。妻も彼女のことを知っていた。例えば当時の彼女が恋愛感情にいかないまでも淡い憧れを僕に抱いていたとしたら。

彼女が大学生になって、夫となる男性と付き合い始めたのも僕は全部見てきているが、その間も彼女の中で後悔が残響のように鳴っていたのだとしたら。

 


これが僕だけの独りよがりな妄想ならそれの方が僕としては救われるんだけど、もしも事実だった場合、なんというか、僕はとても苦しい。

どの瞬間に立ち返っても僕は彼女の気持ちに応えることができないからだ。

 


僕の妻を筆頭に、ババアになってくるとほとんどの場合、福利厚生と休みと給料にしか興味がなくなってくると思うが、僕はそれはとても合理的だと思うし、当然の戦略だと思う。

 


だからこそ、それよりも大事なものがある時期は短いし、とても輝いていると思う。

例えばそれが恋である時期はさらに短いだろう。多くの人が大人になったと同時くらいに気付くのだと思う。

そしてあの恋が自分にとって数少なく、もう取り戻せない貴重な経験であったことを知るのだ。

 


と、モヤモヤした気持ちをこの記事に込めた。

受け取り方は任す。

 


この記事は他と比べて会話部分が多いし、シリアスな場面の連続なんだけど、文章を構築している時にふと、「どんな顔でこんなこと言ってるの?」と思ってニヤけることがあった。

そうなると照れ隠しでメタ的な要素をぶっこもうとしている自分がいて、一緒懸命にそいつを殺した。

しかし、そいつはゾンビのように何度も生き返っていることを読み直しをしている時に気づいた。

意図しない記述はほとんど削除したつもりだが、辛うじて1番大切な場面でのピュー?という口笛(※前回記事の内容)だけは読んでて自分がウケたので残した。なんでその場面に意味不明の雑味を入れたのか、センスを疑う、という意味で。

この記事の中で起きた出来事は5、6年前だと思うが時期は明確には覚えいない。

僕が作った記事中、最長だが出来れば最後まで読んでもらいたいなぁと思う。恋テロできたなら本望。訴求力があるテーマだし、僕的にも熱を込めれたので現状のベスト作品だと思っている。

ただ、だからこそ、この記事を書いている期間は本当に辛かった。出来上がった後はさらに辛かった。

その苦しみを消化するために、かなりメタ的になるけど、その期間のことを記事にしようと思っている。ただ、恥を上塗りするような嫌な予感もしているので熱を一度冷まして考えたい。

記事中の女性については多分元気にしていると思っているが、あの時以来見かけたことはない。

どこかで息子くんと幸せにやっていることを心の底から願っている。

もしもあの頃に戻れたら

ある夏、僕は地元の海を目指した。

そもそものきっかけは僕がジェットスキーの免許を取ったことで、その話を聞いた、高校の頃の友人から海でキャンプをしようと誘われたのだ。

 

東京での仕事は相変わらず忙しかったが、その時ちょうど大きいプロジェクトが終わったところで、同僚や上司からも休みを勧められており、本当にたまたま、まとまった休みが取れそうだった。

 

同棲していた彼女も同じ地元なので、一緒に少し早めの夏休みを取って帰省しようと提案したが、休みが取れないとのことで、僕1人での帰省となった。

 

「あたし、熱っぽいし、お腹痛いし、ちょっとしばらく仕事休まないといけないかも」

彼女は、テキパキと僕の荷造りをしながら、出発する前日にもそう言って、いたずらっぽく笑った。

 

僕達の地元は海に面した小さな地方都市だ。

東京でしばらく暮らした今でこそ当たり前にそんな風に他人に説明できるが、少なくともあの街にいた頃はそれが本当に小さなコミニティーであることや、当たり前に海が見られる環境が特別であると感じたことも、考えたことさえ、なかった。

 

地元に最寄りの空港を出ると地下鉄に乗った。

平日の午前中だったが夏休み中の大学生なのか、まばらだが結構な乗客があった。電車の中で聞く方言がとても懐かしい気がした。僕はスマホも出さず、電車のシートでその雰囲気にしばらく没頭した。

 

東京での生活はなんの無駄もなく、実に合理的だった。僕らは都市という一部の中に組み込まれて、移動し、働き、決められた時間内で流れるように味のない食事をした。東京という大きなシステムの中で僕は立派にその役割を全うしていた。

ただそれを自分の生き方だと思ったことが一度もないだけで。

 

気づくと眠ってしまっていた。

いつの間にか地下鉄は地上に出て、曇り空で鈍い色の海沿いの路線をガタゴトと大きな音を立てて進んでいた。

大きな緩いカーブで先の車両の座席が見えたが、もう殆ど人は乗っていなかった。

どこから来たのか子供が1人、僕の前のシートに座って律儀に靴を脱ぐと窓から海を眺めていた。

僕もその子と同じように目線を上げると、湾曲した海岸線の先に僕の育った街が見えた。

 

数年ぶりの帰省だった。

 

「で、俺言ってやったんすよ、俺の女だから、って。やばくないです?マジで俺イケてる、とか思って」

駅を出ると満面の笑みで後輩が僕を待ち構えていた。

 

彼は嵐のように僕の小さな荷物をひったくると、無駄な装飾がなされたワゴンタイプの軽自動車の後部座席に投げ捨てて、きつい芳香剤が香る助手席に僕を押し込めた。

そして堰を切ったように会わなかった数年分の彼の人生語りを始めた。

要約する必要もないと思うがとにかく童貞ではなくなったことと今はかなり美人の彼女がいること、そしてその彼女が別の男に言い寄られているのを阻止したとのことだった。

彼女の写真も見せてくれたのだが僕に向けたスマホの画面が近すぎて結局ピントが合わずよくわからなかった。

ただ僕はそんなことよりも狭苦しい車内に設置された巨大なモニターや、人を殴り殺せそうシフトレバーなど他にも見るべきところがたくさんあって、その物珍しさに逆にときめいていた。

 

「で、アレっすか?3ヶ月くらいいるんすか?」

「いや、3日はこっちであとは東京戻ろうと思ってるよ」

「やっべー地獄ー」

 

この後輩がなぜ僕を慕ってくれているのかは知らないが一時期一緒に住むほど、僕達は仲が良かった。今回の帰省では彼のたっての希望で彼の一人暮らしのアパートに僕を泊めてくれるそうだ。

と言っても荷物を置いたらすぐに友達と合流してキャンプをする予定だったので殆ど荷物を置かせてもらうだけだが。

 

「え?俺も行きますよ?無人島キャンプですよね?休みとりましたし」

「え?無人島なの?いや、聞いてないんだけど」

 

後輩との話で初めて知ったのだが今回のキャンプは無人島でするらしい。俄然楽しくなってきた。

 

僕は水着を持ってきてなかったので近くの衣料品店に連れて行ってもらった。なんでもいいので適当な物を買おうと思った。

駐車場について、車を降りた時に気づいたのだが、この車、Hのマークのメーカーなのに、何故かLのマークになっていた。

 

 

「あそこの海の家にみんないるんすよ」

海に着くと、後輩が張り切って僕を案内してくれた。


「おおー久しぶりー」

高校の頃の同級生が3人と、見たことのない人たちが数人いた。

聞くと、彼らは同級生のうちの1人の会社の上司や先輩で、ジェットスキー仲間とのことだった。

ここのところ数年は毎年夏になるとこのメンバーで集まってジェットスキーをしたり、キャンプをしたりして遊んでいるそうだった。僕が挨拶をするとみんな日焼けで黒光りした笑顔で迎えいれてくれた。


「今日平日ですけど、仕事大丈夫なんですか?」

友人の会社の上司がいると聞いてから僕は気になっていたことを単刀直入に聞いた。


「うん。俺達今日は愛知に出張だから」

もちろんここは愛知ではないので、サボっている、ということだ。

悪い人たちではなさそうだと思った。


今日のキャンプの準備を手伝ってくれたそうで、もうすでに島に荷物などは運び込んでくれているらしい。

ジェットスキーはその仕組み上、海上の浮いたゴミなどを吸い込んで動作不良を起こすことがあるのだが、もし、無人島に停留させて動かないようなことになったらまずいので僕達を数台で送り届けたらまた戻ってきて明日改めて迎えに来てくれるとのことだった。


「え。なんか申し訳ないです。マジでありがとうございます」

「いいよ、気にしないで。あいつの給料から俺達の日当分ひいとくから」

ガハハ、と嫌味なく笑った。


諸経費は後で清算するとして、とりあえずみんなに飲み物をおごろうと海の家の店舗となっているトレーラーハウスに向かった。

だいぶサビがきているようでもう数年以上、その場所から動いていないように見えた。


しかし、かけられたタープやパラソル、使い込まれたチェアなどがビーチの雰囲気と馴染んで、とても居心地良さそうにも見えた。

曇っていた空はところどころ切れ間が出来て熱光線が差し始めていた。

 


「すみませーん」

薄暗くなったトレーラハウスの室内のフライヤーの前に女性が屈んでいた。

僕が声をかけるとすっと立ち上がりこちらに顔を向けた。

 


「あ、久しぶり」

彼女ははにかんだような顔でふわりと髪を揺らした。茶色の大きな瞳に白い肌。細くて柔らかそうな髪。少しも変わっていなかった。

 


彼女は中学の時の同級生だった。

 


彼女のことを思い出すといつも、光の中で茶色に煌めく髪の毛のことが浮かぶ。

彼女がよく窓際に立っていたからだと思う。

単純にそうするのが好きだったのだろう。窓際のサッシに手を置いて特に何もない中庭を見ていた。

彼女の髪がサラサラと風に揺れて一本一本が溶けるように光と同化していた。

そうしている時、彼女はあまり喋らなかった。

僕はその様子を見ているのが好きだった。

 

 

「え、あ。働いてるの?ここで」

「ううん、今日だけたまたま。あ、こっちに書いてね」

彼女はカウンターに無造作に置いてあるメモ帳を目線だけで指した。僕はそれに飲み物のオーダーを書いて渡した。


「昨日みんなでお店に来てママに海の家開けてってお願いしに来たんだよ」

 

彼女の話によると、僕の友人とその会社の仲間たちが普段、平日は開けていない海の家を開けるよう頼みに来たらしい。ママ、ということはおそらく飲み屋のことだろう。

つまり、彼女が働いている飲み屋のママがここのオーナーで、そのママの店に昨日みんなが来たのだと思われた。

彼女は飲み物を作りながら僕と目線を合わせずニコリと笑った。


「なんかほら、高校の時、あの人と一緒にバンドしてたよね?だから東京に行った友達が帰ってくるって聞いて、あたし、ピンと来たんだよね」


友人達の方を向くとなぜか相撲を取っていた。確かに僕はあの中の同級生の1人と高校時代にバンドをしていた。

 

ふいに、彼女が僕の名前を呼んだ。

僕が振り返ると、飲み物が載ったトレイを渡しながら彼女が言った。


「おかえり」


胸の奥がギュッと締め付けられた。

 


僕と彼女は中学2年の1年間だけ同じクラスだった。

僕はそこの転入生で最初に座った席の隣が彼女だった。

今から思い返せば、一目惚れだったのだと思う。僕は最初から彼女に強く惹かれていた。僕にとってはとにかく初めての感情で何をどうしたらよいのかまったくわからなかった。

だから僕はできるだけ普通に接するように心がけていた。気付かれないように、慎重に。


事実だけ見れば僕達は特別に仲のいい二人とは言えなかったと思う。たまに話すクラスメイト。それが客観的に見た僕達の間柄だった。

 

 

僕はてっきりすぐに無人島に渡るものだと思っていたが、友人の上司が楽しくなってしまったのか中々、動き出そうとしなかった。

そのうち、バナナボードを膨らませ始め、男だけの危険なクルーズを始める、と宣言した。毎年海の家に集まっている友人達はすぐにライフジャケットを脱ぎ、不参加を表明した。

なんだかとんでもないことが始まるようだ。

僕はその雰囲気を楽しんでいるフリをしながら、隣に座る彼女のことをずっと考えていた。

僕達以外にも数人のお客さんがいるようだったが、特に用がない限り、彼女は僕達のテーブルで何と言うこともなく話を聞いていた。

 

 

彼女は校内でも美人で有名な女性だった。

普段、派手目なグループにいるにも関わらず、割りに無口で、何かあっても遠くから眺めて微笑んでいるだけ、のようなところがあった。

しかし、おしとやかな女性、という訳ではなかったと思う。

クラスの中で少数派だったとしても自分の意見ははっきりと発言していたし、そしてそれで対立してしまったとしても物怖じする様子は見られなかった。


僕が彼女に惹かれたきっかけは確実にその見た目の美しさだったが、僕は彼女の内面も凛としていて素敵だと思っていた。

中2の僕は密やかに彼女への想いを発酵させていっていた。

 

「おーい」

友人が海の中から僕を呼んだ。

後輩はまだ水着に着替えていなかったが何故か友人と海の中におり、普段着のままビショビショに濡れていた。

友人の会社の先輩達はウインドサーファーがいない沖の方に出て、信じられない速度でバナナボートを引いていた。

「免許とったんだよね?なんか海の家のお客さんがジェット乗りたいらしいから、アレでちょっと回ってあげてくれないかな」


トレーラーハウスの方を見ると中学生くらいのカップルが僕を見ており、男の子の方がヘコッと頭を下げた。


ジェットスキーしか運転できない、特殊小型船舶免許は他の船舶免許と比べると安価で簡単に取得できる。しかし、試験でも殆ど実技がないことから免許取り立ての僕ではまだ人を乗せるのが不安だった。


僕は中学生に少し待ってて欲しいと、伝えるとライフジャケットを着て、慣らし運転をしようと思った。

すっ、とどこから来たのか彼女が僕の腕に自分の腕を絡ませた。

ライフジャケットを着て、フフフと笑った。

どうも一緒に乗りたいらしい。


「お店いいの?」

「んー」


目配せすると、意図を汲み取った友人がトレーラーハウスの方に向かって歩き始めた。友人を後追いした後輩が中学生カップルを冷やかす声が聞こえた。

 


「本当初めてだから、落としたらごめんね」

僕はジェットスキーの上から彼女の手を強く引いて、持ち上げながら言った。

 


ジェットスキーの鍵は落水した時に直ぐに外れて動力を停止しなければならないため、半分になったプルタブのような独特の形をしている。

アンカーの紐を外すと、少し強めに鍵を取り付けてエンジンをかけた。

後はハンドルについている、自転車のブレーキレバーによく似た形状のアクセルを引き込めば推進する。車や自転車のようなブレーキはない。海水との摩擦でアクセルを離すと自動的に減速するのだ。

 


「ねぇ、さっきさ」

僕は気になっていたことを質問した。

「あいつとバンドしてたの知ってたけど、なんで?」

彼女は、僕と同じ高校を受験したが不合格だった。

あの冬の日、合格発表の掲示板を見てボーっとする彼女の姿を思い出した。


「え?見に行ったことあるよ、何回か」

彼女が僕の腰に手を回した。

振り返ると、思った以上に彼女の顔がすぐそばにあって驚いた。

「隠れて、だけど」

 


客観的に見れば僕らはただのクラスメイト、だった。それは間違いなかった。だけど、2人の中でそれを見るとどうだっただろう。

 


僕らの中学は、授業が全て終わると、掃除の時間だった。

男子のほとんどは渡り廊下でピンポン野球をしたり、鬼ごっこをして遊んでいたので、必然的に真面目な生徒か、女子しか掃除をしていなかった。

しかし、僕はいつもキッチリと掃除していた。

割り当ては定期的に変わるのだが、僕はいつもベランダの掃除をした。担当に頼んで何度も変わってもらっていたので、そのうち永世ベランダ掃除担当に任命された。

理由は、単純に雑巾掛けをしなくてよかったので楽だったからだ。しかしそのうち、彼女が掃除の合間に外を見に来ることに気づいて、それからはその為にベランダ掃除担当を死守した。

もちろんみんなには前者の理由しか話したことがない。


彼女はいつも掃除の終わり頃にフラリと現れて、窓際に立つと何を言う訳でもなく、外を見ていた。

僕は彼女がやってくると掃除の手を止めて彼女と一緒に黙って外を見たり、彼女の様子を伺ったりした。


たまには少しだけ話をした。


別になんて言うことはない。誰かの噂話とか、部活のこととかだった。

 


中2の終わり、2月頃だったと思う。

締め切った窓の向こうのベランダで僕は無心に砂を集める作業に勤しんでいた。いつも思っていた。この砂はどこからやってくるのか、と。

これだけ毎日頑張っていても翌日には掃除するのに十分な砂と埃の塊が転がっていた。


そのうち、彼女がやってきた。

いつもはベランダの入り口の窓際にいるだけだったが、その日はとても寒かったせいか、ベランダに降りて入り口の窓を閉めた。


「さむっ」

「こなきゃいいじゃん」

 

フッと僕らは笑ったが目を合わせることもなく、いつものように外を見ていた。

しかし、別に見るところはなかった。向こう側に工作室があって知らない誰かが掃除をしていた。

 


しばらくそのままそうしていたが、彼女が小さな声で唐突に言った。

「もう3年だね」

「だね」


「塾、どこ行ってる?」

「え、行ってないけど」


「うちのとこ、結構いいよ」

彼女の話では僕の仲のいい友達も数人いるし、授業の内容もいいらしい。


「あたしも、来てくれると楽しいし」


件の塾に体験入学に行った時も友達の誰にも彼女から誘われたことは言わなかった。

家からは少し離れていたが自転車で通った。


たまに、部活帰りの彼女と一緒になることがあった。僕は自転車を下りて一緒に塾まで歩いた。


3年になってクラスが別になると、学校で彼女を見かける機会がめっきり減った。


ある時、彼女が学校の廊下を歩いているのを見かけた。僕は彼女の少し後ろを歩いていた。

特に何かをしようとしていた訳じゃない。たまたま行く方向が同じだった。

彼女が突然くるりと振り返り、僕を見て言った。


「やっぱね。そうだと思った」

フフフと笑うとスタスタと自分のクラスに走っていった。


僕は彼女に恋をしていた。

彼女はどうだっただろう。

 

 

 

免許を取って数回目の運転は特に問題なかった。

寧ろ友人の大きなジェットスキーが運転し易く、これまでで1番安定していたように思った。

中学生のカップルも適度に怖がらせられたようでとても安心した。

友人と、友人の職場の先輩達はいつの間にか酒盛りを始めていた。

戻ってきて戸惑ってる僕に後輩が気まずそうに言った。

「いや、なんかもう行かないらしいっす」

笑った。どうせ明日も休みだしな。まぁ楽しければなんでもいい気がした。

 

 

 

3年の1学期に僕は人生で初めての、所謂、モテ期を体験した。

なぜなのか本当にわからないが色んな人から告白された。

修学旅行が近かったので自由行動の時の相手を探すためになんとなく3年全体がそういう空気になったことも一因かもしれない。


僕は全員の申し出を断った。


しかし、そんなことがあったことで僕は少し、自分に自信が持てた気がしていた。

そして、彼女に告白することを考えた。

 


塾の帰り、彼女はいつも親の迎えを待っていたので、僕はわざと課題が終わらないフリをして、他の人がいなくなるのを待とうと思った。


しかし、彼女の友人がずっと彼女と話し込んでいて、とても帰るようには見えなかった。


「ねえ」


別に誰かになんと思われよう構わない、くらいの覚悟はしていたと思う。僕は話に割り込んで彼女に声をかけた。


「修学旅行の自由行動、どうするの?」


彼女は驚いた顔で僕を見た。

彼女の友人が僕と彼女を交互に見ながら「えーっと、それって」と気まずそうに言った。


「もう、誘われてる」

彼女は僕の目を突き刺すように見て、サッカー部の男子の名前を言った。


「そっか。別に、誘ってないけど」


僕はその後、部活帰りの校舎裏で、泣きながらもう一度改めて告白してきてくれた女の子と付き合うことにした。 

友人が好きだった女の子だった。とても可愛らしくて素直な、優しい子だった。

 


無人島に友人達が置いた荷物がそのままになっていることを思い出した。

明日でもいい、とみんな言ったが、僕はまだ酒を飲んでいなかったし、どうしても彼女に確認したいことがあった。

彼女が無人島までついてきてくれるならついでに片付けてしまおう。


トレーラーハウスに行くと、彼女が何やら料理を作っていた。

僕はしばらくその様子を眺めていた。

 

「あっごめん、もう閉めようと思ってるよ」

彼女が僕に気づいて言った。おそらく飲み物を頼もうとしていると思ったんだろう。

 

「え、もう帰るの?」

「うん。子供迎えに行かないといけないから」

「あーじゃあそれって」

僕は彼女が作っている料理を見た。

「うん。近いから一旦ここで食べさせて、実家に連れて行こうと思って」

「ふーん」

「あ、なんだった?」

「少し話したいなぁと思って」

「なによー愛の告白?」

彼女が冗談っぽく言った。

「っていうより、この場合、答え合わせに近いよね」

僕達の場合、そう表現した方がしっくりくる。

 

彼女も思い当たるところがあるのか、特に何も言わなかった。

 

「鍵、一旦締めるけど、また戻ってくるから、その時ね」

彼女は軽自動車に乗ってどこかへ行ってしまった。

 

僕がみんなのところに戻ると大爆笑が起きた。

「フラれたんか」

ハハハと僕も笑った。

「どうなんでしょ。断られたけど、フラれてはないです」

「マジ強すぎ、不屈の精神っすね。月月火水木金金!」

「え?そんなんだっけ、それ」

僕は後輩のツッコミをいなした。

 

 

僕は彼女に恋をしていた。

これは間違いなく事実だ。

彼女も僕に恋をしていた。

もし、それが偽なら修学旅行での彼女の行動の説明がつかない。

 

 

修学旅行の自由行動で僕は新しく出来た恋人と待ち合わせをした。那覇市内の散策だった。

僕たちはハンバーガーを食べたり、お土産を見たり、公園に当たり前に植えられたちょっとグロテスクとも思えるほど根の絡まったガジュマルの木を見て過ごした。


友人達とも約束をしていたので、頃合いを見てその子と別れた。

ちょうどその子の仲のいいグループが近くにいたためだ。


僕は友達を探して商店街を歩いた。

商店街は広かったが、同じ中学のほとんどみんなが通り一本に集まっているようだった。


知り合いばかりで混み合った大きなおみやげ屋の中で、携帯のストラップを見ていた彼女を見つけた。

一人でいるようだった。

 

「ねえ」

あれ以来、僕達は話していなかった。

僕は友達を見かけていないか聞く口実をつけて声をかけた。また自然に話せるようになりたかった。

彼女がこちらを振り向くと、その瞬間、真っ赤な顔をして僕の方にズンズンと歩いてきた。

そして、どん、と僕にぶつかって、言った。

「なんで」

彼女はつぶやくように続けた。

「見たし」

僕の胸あたりにちょうど彼女の頭があった。

「何を?」

僕と恋人が一緒に歩いているのを。

そう言うと彼女はどこかに歩いていこうとした。

僕は彼女の袖を掴んで引き止めた。明らかに彼女は怒っていた。

「なんで?誘ったじゃん」

彼女は僕の手を振り払った。

「誘ってない、って言ったよ」

 

「いや、それは」

君が別のヤツから誘われてるって言ったからじゃん。僕は君を諦めようと思ってーーー

 

言いかけてやめた。

僕はもう恋人の告白を受けて入れてしまっていたのだ。今更、何を彼女に言い訳する気なのだろう。

 

唇を噛んで彼女は僕の言葉の続きを待っていた。

けれど僕は、目線を逸らせて踵を返した。

あの時、確かに僕は僕の意思で彼女の元を去った。

 

後から知ったが、彼女を誘ったサッカー部の男子は誘ったその時に断られたらしかった。

あの塾での夜、なぜ彼女はあんな風に答えたのか、どんなに考えても理由がわかならかった。

 

僕と恋人はそれからも長く付き合った。

同じ趣味もあったのでそれなり楽しく過ごせていた。

サッカー部の男子が彼女に告白したと噂で聞いた。結果は聞かなかった。

 

夏が過ぎて秋になった。

塾の終わりに、僕はすぐ近くの公園で覚えたての煙草を吸っていた。


そこに彼女がやってきた。

「うわ、ふりょー」

修学旅行以来、久しぶりに彼女が僕に声をかけた。
僕は煙草を消してベンチから立ち上がった。

「あれ、迎えは?」


「なんか先生、用事あるんだって。追い出された」


いつも彼女は塾の中で迎えを待っていたが、今日は塾を閉めなければいけないそうで、ここの公園で迎えを待とうとしているようだった。


とは、言ってももう陽は落ちて辺りは真っ暗だった。


「送ろっか?」

「え?」

「友達に送ってもらうって電話しなよ」

「いいよ、いいよ。あたしんち遠いし」

「じゃなくて、送りたいんだよね。話したいし」


僕は自然にそう言っていた。

確かに話したいことがたくさんあった。

多分、そのどれも、もう取り返しがつかないだろうけど。


僕のボロい赤い自転車は至る所からギコギコと苦しそうな音を上げていた。

話したい、と言ったくせに彼女を自転車の荷台に乗せると何も言葉が出てこなかった。

 

苦し紛れに、僕は自転車を漕ぎながら口笛を吹いた。

この曲は彼女と、僕の名前が歌詞の中に入っていた。1人になると僕はよくこの歌を歌った。

有名な曲だったが、歌詞の中にあからさまにあるのではなく、文節などを無視すると、そうなる、というだけの片思いの想像力が生んだ苦すぎる思い込みみたいなものだった。


「え、それ好き」

彼女が唐突に言ったので僕はピュー?と返事のような口笛が出た。


「あ、そうなんだ」

「この曲ね、あたしの名前が隠れてるんだ」

「へー」

そのすぐ後に僕の名前も隠れているのだが、彼女は気付いているだろうか。

 


彼女は細い声で歌い始めた。

「ね、ここ。ほら、あたしの名前」

僕は、本当だー、と気の無い返事をした、


そして、彼女は続きを歌った。

「で、ほら、ここ」

僕の名前。

 

彼女が僕の名前をメロディに乗せて歌った。

「ね?すごくない?あたし達の歌」

 

彼女の名前の部分は比較的わかりやすいのだが、実は正確にいうと、僕の名前はこの曲には出てこない。歌手の発音がそう聞こえるのだ。さらにAメロの終わりとBメロの最初の文字を合わせる必要があって普通は絶対に気付かない。

 

彼女が僕に特別な想いがない限りは。

 

その瞬間、自分でも思っていないほどの大量の涙が、嗚咽を伴って流れ出てきた。

なんで、なんで。


「誘ってるつもりだったんだよ」


僕と彼女は事実だけ見れば、本当に話した記憶が少ない。

しかし、僕は彼女とたくさん話したような気がしていた。結局思い出しても事実としては話していないので、彼女とベランダで風景を見ている間、いろんな言葉を頭の中で交わしていたのだろう。

彼女は黙って僕の背中をさすっていた。

僕はしばらく自転車を漕ぎながら泣き続けた。


もう少しで彼女の家に着く、という時に通りの自販機の前に止まった。

「家まで行ったら親に見られるかもしれないから」

僕はそう言って、その自販機でジュースを2つ買った。

1つを何も言わずに彼女に渡し、もう1つを自分で飲んだ。


「ありがと」

彼女はそう言って受け取ったジュースを鞄の中にしまった。

自販機の白い光で彼女の顔が照らされていた。彼女も頬を真っ赤にして泣いていた。

お互いの顔を見ると、フッと息が漏れて、笑いあった。

「ださ」

「マジで意味わからん」

彼女は僕の手からジュースのペットボトルをひったくると、コクンと一口、小さく飲んだ。

そしてすぐ、僕の手に押し付けるようにペットボトルを返した。


「いいよ、今は別に。最後に一緒にいられれば。同じ高校、目指そうね」

彼女はそう言って家のほうに向かって歩いて行った。

 

 


彼女の子供はとても可愛い男の子だった。

最初は彼女の後ろに隠れて中々出てこなかったが、僕がニヤニヤしながら手品を見せると徐々にこちらに近づいてきた。そのうちすぐに僕の膝の上に座って宴会の輪に加わった。


しばらくして彼女が子供を呼んだ。

僕は嫌がる彼を抱き上げて、彼女の元に運んだ。


「ありがと。もう帰らないと」

「うん」


男の子を下ろして、彼のお母さんである彼女に引き渡した。

そして彼女の真正面に立った。

「答え合わせ、だっけ?いいよ、今して」


「これから仕事?」

おそらく彼女は飲み屋で働いていると思っていたので聞いた。

彼女は男の子の頭に手を置いて、うん、と言った。


結婚は?

聞かなかった。

なんとなく想像がついたし、おそらく話したくはないだろうと思ったから。


「なんであんなこと言ったの?」

僕はずっと聞きたかったことを口に出した。

「え?何が?」


「塾で。修学旅行の自由行動」

僕が一緒に行こうって誘おうとしてたのに、なんで制するように、一緒に行く予定のない男子の名前を出したのか。

彼女は、しばらく思案して、あー、と言って笑った。

「あれね、好きだったんだよ。一緒にいた子が」

彼女の話ではあの時、一緒にいた彼女の友人が僕のことを好きだったらしい。

僕もなんか全部腑に落ちて、あー、と言って笑った。

「モテモテだったもんね。あの時」

彼女は意地の悪いニヤケ顔で言った。


「だけどあの時、本当に好きだった人とはうまくいかなかったよ」


僕がそう言うと彼女は目を泳がせた。

そうしておみやげ屋で僕の言葉の続きを待っていた時と同じように唇を噛むと、少し黙った。


「やっぱ、あの時。あたしのこと好きだった?」

 

今の記憶を持ったまま、もしもあの頃に戻れたら、その先で僕を待っている、今の僕を構成する色んな出会いや出来事を全て捨てて、彼女との未来を選択するかもしれない。


だけどあの頃に戻ることなんて絶対にできないから、僕は後悔も苦さも一緒くたにして、今の間違ってるかもしれない選択に、覚悟を決めて生きていきたいと思う。


そう思って繰り返してきた選択ならば、僕は、あの頃の僕の選択を信じてあげたいと思う。


そして、あの頃の僕と彼女に、それでよかったよ、と言ってあげたい。

 

僕は少し溜めて応えた。

「いや、全然」

「うっそー、絶対嘘」

彼女が吹き出した。

「うん、嘘」

「だよね」

しばらく黙って見つめあった。

彼女の髪が風に揺れていた。

「じゃあね」

「うん、バイバイ」

 

こうして僕達は別れた。

長すぎる初恋の終わりだった。

 

 

 

東京へは1日早く、戻ることにした。

東京で待つ彼女が本当に体調を崩したらしい。

 

家に泊めてくれていた後輩は、「もう絶対に帰ってこないで下さい。いなくなるのが寂しいから」と言ってふて寝していた。

 

夕方、東京のマンションに着くと、彼女がベットの上で毛布に包まって泣いていた。

真夏に毛布はさすがにヤバイと思い、心配したのだが、体調が悪いのにすごく嫌な、悪い夢を見た、と言った。内容は教えてくれなかったが、しきりに地元での僕の行動を聞きたがった。

彼女は昔からたまに、信じられない第六感を働かせることがあり、なんだか今回もそれに似た何か、な気がした。浮気なんてしたらどうなるんだろうか。

夜にはケロッと元気になった彼女がまた、しつこく帰省中のことを聞いてきたので、僕は、自分史上2番目の強敵を倒してきた、と冗談交じりに伝えた。

 

不自然だったが彼女はそれ以上何も聞かなかった。

 

僕史上最強の敵は君だ、とまで言っていたらおそらく勘のいい彼女のことだ。色んなことを察してしまったかもしれない。

もしかしたらもうすべて察したからこそ聞かなかったのかもしれないが。

とにかく、残りの休みは彼女とゆっくり過ごそうと思った。

 

 

 

 

トイレでの一件

僕は口笛を吹いていた。

 

トイレの個室で。しかも会社の。

 

何故そのような愚行に至ったのかは今となってはもうわからないが、16小節くらいは吹いた。高らかに。題名は知らないが北斗の拳のユッアッショーのやつを。

 

半分無意識だったので自分がそんなことをしている認識はほぼなかった。

なんというか、している認識はあるんだけれども理性は働いていなく、ぼんやりとしているという状況なんだと思うが、あんまりそういう状況の経験がないのでよくわかっていない。

 

とにかく僕自身が僕のその行為に気づいたのは何処からともなく僕以外の誰かがユッアッショーのユッアッショー部分だけを遠慮がちに口笛で吹いたからである。

 

その瞬間、ビックリしすぎてピュー?っと返事のような口笛を吹いてしまった。

 

僕の口笛が止むとトイレは換気口の小さなゴォーという音だけが響く、表面上の安寧を取り戻した。

 

もらい口笛、だと思う。

僕が無意識にも高らかに口笛を吹いていたせいで、おそらく大便中の誰かも無意識に吹いてしまったのだ。

 

僕自身、心臓がバクバクしていた。

自分自身が無意識に口笛を吹いていたことに気づいてとても恥ずかしいと感じたからだ。

 

会社の男子トイレには大便器の個室が4つほどある。

僕は向かって1番左端の個室にいた。

つまり現在便座に座っている状態の僕から見て左側に他の3室がある状況だ。

 

僕は彼が何処の個室にいるのか知らないが、おそらく僕以上に恥ずかしい気持ちなのではないか、と思った。

 

まず、ノッてしまったという点。

おそらく僕の口笛を彼は最初、ビックリしながらも黙って聴いていたと思う。

そして、「とんでもないクレイジー野郎が入室してきたぜ」と思ったはずである。鼻で笑った可能性もある。

しかし、僕の口笛は高らかで、無意識からくる清らかさもあり、仕事中の疲れた心にそっと入り込んでしまったのだろう。次第に音楽としてノッてしまっていたことと推測される。

僕の口笛が上手いことも一因だと思う。小1で吹けるようになってからというもの毎日練習していた僕は、吹き出す息だけでなく、吸い込む息でも音を鳴らせるのでブレスを必要としない。また、高音は歯笛に瞬時に切り替えることによって、まるでファルセットのように裏返ることが可能だ。腹式呼吸によるスタッカートも自在であるため、ユッアッショーのようなロック調の音楽のキレにも対応でき、まるで黒人が街角で刻むジャンベのリズムのような緩くも鋭いグルーヴが否応なしに生みでてしまう。

ただの口笛が音楽になってしまったのは僕に非がある。

 

そして次に、僕がリアクションをしてしまった点。

前述のように僕の口笛は無意識ながらも音楽であったことが推測されるが、彼が吹いた口笛に対しての僕のリアクションはピュー?という口笛だった。

 

わからないと思うのでもう一度言うと、僕のリアクションは音楽ではなく、口笛だったのだ。

 

例えば空港の広場でバリトンサックスを吹いている外人がいたとする。そこに通りがかりのピアニストがやってきて、備え付けのグランドピアノを弾いたとする。

このストーリーでのこの後の正しい反応は一緒にセッションをする、であると思う。

つまり、音楽には音楽を返す必要がある。

 

しかし、僕は自分なりの精一杯の音楽で応えたかもしれない彼に対して、ピュー?という口笛を返してしまったのだ。

もちろんこれにも僕の非がある。

僕が無意識だった、というのが最大の理由だが、意識的にトイレで口笛を吹くことは今後ないので無意味な反省ではあると思う。しかし事実としてそれは屹立しているのだ。

 

 

「すみません」

 

 

消え入りそうな小さな声が聞こえた。

 

驚いたのはそれが聞き慣れた僕の声だったからだ。

僕は謝罪していた。また、無意識のうちに。

 

 

小さい頃に僕の面倒を見てくれたのはばあちゃんだった。いつも漬物の匂いがしていて、どこにでも軽トラで連れて行ってくれた。

今思えば頭のいい人ではなかったかもしれない。だけど色んなことを知っていて僕に教えてくれた。

ばあちゃんは優しかったし、僕の言うこと誰よりも1番真剣に聴いてくれた。ただ、僕が人のものを取ったり、悪いことをしたのに謝らなかった時はとても怒った。

 

 

亡くなった今でも僕はばあちゃんのことが大好きだが、今この時においてはばあちゃんを恨むしかなかった。僕を謝罪できる人間に育ててくれたことに。

 

今回のこの状況で僕が謝ってしまったのは条件反射的に公平さを測ってしまったからだと思う。

しかしそれには何の利もない。むしろマイナスしか生まない。

 

僕は声を発することで特定されるリスクを負ってしまった。会社のトイレで超絶テクの口笛を吹く男というレッテルを貼られてしまう可能性が生まれた。まぁそのレッテルには事実しか書かれていないが。

 

もらい口笛をしてしまった見ず知らずの彼にとっては、僕が彼のもらい口笛を認知していることをその謝罪によって改めて痛感させられ、特に向け先の見当たらない謝罪をどう受けとればよいのか、という苦しみが生まれてしまった。

 

大人になれば誰でも、グレーなまま一旦置く、という選択肢を持つことになるが、今回の場面では狡猾にそのカードを切るべきだった。しかし、僕は謝ってしまった。

 

 

ピュッピュッピュー、ピュピュ、ピュピュ、ピュピュッピュピュー

 

 

高らかに北斗の拳のあの曲が聞こえた。

僕は理解が追いつかなかった。身体を縮こめたままその拙い口笛を最後まで聴いた。

 

念のため、こっそり親指で自分自身の唇に触れたが、僕は吹いていなかった。誰かが北斗の拳を口笛で吹いていた。

 

 

「なんでやねん」

 

 

ドスの効いた低い声だった。

もう一度念のため、親指で唇に触れたがもちろん僕は喋っていない。

意味がわからなかった。もうとにかく意味がわからなすぎて、フフッと笑ってしまった。

 

そして左隣から続々と同じような鼻息が聞こえた。

何人か、いる。

 

僕はサッサっとトイレの事後処理をして個室から出た。手を洗っている時に個室に目をやると僕が退出した場所以外全てが埋まっていた。

 

 

 

僕は自分のデスクに戻って先ほどの出来事を整理した。

 

1.最初に口笛を吹いた

2.次に口笛を吹いた

3.すみませんと謝った

4.さらに口笛を吹いた

5.なんでやねんと突っ込んだ

 

まず確定しているのは1と3が僕による動作であることだ。

流れ的に判断するのであれば以下が自然だ。

 

1.最初に口笛を吹いた

*僕以外の人は驚いた。もしくは異常事態に警戒した。

 

2.次に口笛を吹いた

*うっかり追従してしまった。吹いた本人も周りの人も驚いた。

 

3.すみませんと謝った

*周りの人は追従した人が謝ったのか、最初の口笛の人が謝ったのか判断できない。しかし、どちらにしても常識的な人がうっかりしてしまったことが伝わった。

 

4.さらに口笛を吹いた

*思ったほどの異常事態でないことがわかり、これまでの流れを静観していた人が面白半分に吹いてみた。

 

5.なんでやねんと突っ込んだ

*上記の流れを瞬時に把握した人が4に対してツッコミを入れた。

 

 

おそらくこれであろう。

もしこうだった場合、特筆すべきは5の動作を行った人物だ。

まず、第一にここが九州であるにも関わらず、なんでやねんという関西的なツッコミを入れた部分。

このことからこの人物が普段は率先して面白いことをするタイプではないが、休みの日に吉本新喜劇とかを楽しみにしている、少し固く、古いタイプの人物像であることが推測される。

笑いに対するテンプレートが少ないため、聞き慣れた関西式のツッコミが出てきたという推理だ。

 

次に当事者である僕自身がその状況を飲み込めていなかったにも関わらず、一瞬でその流れを把握するだけの対応力がある部分。

前述の推理から50代くらいのおじさんをイメージしたが、得てして出世するのは頑固よりも、柔軟なタイプであると思うので、この適応力の高さは幹部社員である可能性が高い。

 

単純に場所的な有利はあったのかもしれない。僕が1番右端にいたとすると、この人物は真ん中に辺りにおり、左側から別の口笛がすれば状況の推理ができる。

 

ーーーと、考えていると唐突に社長がオフィスに入ってきた。

 

そして出張から戻ったばかりの部長に何か知らないプロジェクトの計画の不備を責め始めた。話を要約すると社長が一回オッケーを出したけどよく考えたらダメだったわ、みたいな話なんだけど、自分がオッケー出した癖になぜか部長が怒られているという構図であった。

 

正直、なかなかの無茶理論だったので横で聞いていた僕はニヤけるのを我慢していたのだが、怒られている当の部長は黙って話を聞いていた。

 

そして、社長の話があらかた終わると唐突に部長が言った。

 

「承知しました。まぁ愛を取り戻せってことですね」

 

社長は眉をピクリと動かすと、ガハハと豪快に笑った。

 

部長が僕を見てニヤリと笑った。