「ゾンビを倒すために最も効率的な武器について」
昼前に喫煙室にタバコを吸いに行ったところ、年下の同僚が煙に目をしかめならスマホを凝視していた。
「何してんの?」
僕がそう声をかけると同僚はチラとこちらを見、すぐにスマホに視線を戻して言った。
「ゾンビの世界で生き抜く方法を考えてました」
カーン。
イメージの世界で甲高い音が鳴った。それがなんなのか一瞬わからなかったが、ゴングであることにすぐに気付いた。
「え。なんて?」
「あ、いや、ゾンビに囲まれたらどうしようかな、と思って」
こいつ、まじか。
僕がゾンビを好きなことを知ってて言っているのか?
コールオブデューティーブラックオプスでゾンビモードにはまってからというもの、ありとあらゆるゾンビものの映画や漫画を消費しまくり、ゾンビが好きすぎてゾンビの仮装をやってたUFJにも単騎突入し、前述のゾンビモードではグリッチなしでスコア世界100位以内(※とてもすごい。休みなしで2日かかった)に入ったけれども、家族や友人にゾンビのよさを伝えても理解を得られず、虐げられてきたこの僕に、まるで無防備で、軽率に、ゾンビについての考察を求めて、ただで済むと思っているのだろうか。
そして、僕の中に強烈なイメージが浮かんだ。
~~~~~~~~~~~(イメージの世界)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
若くして無敗のまま世界チャンピオン戦まで上り詰め、史上最高の天才と言われた僕は、山での修行中にクマに襲われた際、命を救われた、宿命のライバルで世界チャンピオン、マハリスと因縁の対決に挑むことになった。しかし、試合前夜、報われない家庭環境から荒れた生活をしていた僕をボクシングの道に導き、公私ともに支えてきた幼馴染でトレーナーのたかこを不慮の事故で亡くしてしまう。絶望に暮れた僕は試合を棄権し、姿をくらました。3年後、たかこの弟でプロボクサーのよしおが世界戦の練習のためモロッコを訪れた時、地元民も寄り付かない場末のパブでゴロツキ共とポーカーに興じていた僕を見つける。よしおは僕に声をかけるが、変幻自在のアイスハンマーと呼ばれた僕の右手は既に握力を失ってしまっていた。よしおは姉の意思を受け継ぎ、僕のトレーニングを始めるが、右手の状況は一向によくならなかった。だましだまし試合を重ねていくが、かつての史上最高の天才の面影はリングの上には見られなくなっていた。再び失意に暮れる僕だったが、町で見かけた、たかこによく似た女性、まさみとの出会いで、少しずつ精神的な強さを取り戻していく。かつてマハリスに救われた山に修行に訪れた際、再びあの時のクマと出会う。絶体絶命の状況に陥った僕だったが、ステップインから最大限に腰のひねりを増幅させ、フックのように死角から、ストレートのような鋭さをもつ、必殺の左パンチを繰り出し、クマを撃退する。その後、このパンチで連戦連勝を重ねる僕だったが、腰へのダメージは深刻で、医者から「あと3発まで」と宣告されてしまう。必殺のパンチを封印し、世界チャンピオンを目指す僕だったが、かつて戦ったライバル達が立ちふさがり、2発のパンチを消費してしまう。いよいよ世界チャンピオン戦目前となるが、世界最長防衛記録を持ち、すでに生ける伝説となっていたマハリスを、よしおが倒し、新世界チャンピオンとなってしまう。よしおとはまさみとのことで対立してしまい、よしおはジムを移籍してしまっていたのだった。そして遂に僕とよしおとの世界戦前夜、まさみについての衝撃の事実を知ってしまう。たかこを忘れきれずふるわなかった僕のためにまさおが世界中から似ている人物を探し、大金を積んで用意した偽りの恋人だったのである。拳を握りまさみの前に立つ僕だったが、その拳が振るわれることはなく、また僕は闇へと消えて行った。
しかし、試合当日、リングの上にはバンテージを巻く僕の姿があった。
必殺のパンチは残り1発あったが、このパンチの致命的な欠陥をよしおは知っており、通用するように思われなかった。
よしおの素早いステップワークから生み出される遠心力の乗ったフックは脅威だが、かつて天才と呼ばれた僕の動体視力の前では止まっているも同然だった。
共に今は亡き、たかこからボクシングを学んだ2人はお互いの戦い方をよく知っていた。
勝っても負けてもおそらく僕にとっては最後の戦いだろう。
レフリーが誘導し、僕ら2人はリングの中央で軽く拳を合わせた。
世界中の100万人の観客はそこに何もいないかのように静かだった。
「終わったら一緒に飲みに行こう。モロッコにまずい安酒を飲ませる店がある」
僕がそういうとよしおがニヤリと笑った。
今、試合のゴングが鳴る。
~~~~~~~~~~~~~~~(イメージ終わり)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
先ほど聞こえたゴングはまさにその音だったのだろう。
どの世界でも速度は価値であり、最も単純に勝ちに近づく手段である。
高まった僕は開始早々、最後の一発である必殺パンチを撃つような心持ちで華麗にステップインした。
「いやね、僕もチェーンソウってどうなの?って常々思ってる訳よ」
「は?何言ってるんすか。嘘っすよ」
おそらく多くの人が無意識下でも相手がどのように返答するか、のイメージを持っていると思うが、この時の同僚の言葉は僕の想像を遥かに超えたもので、まさに死角からの強烈な一撃だった。
僕はタバコに火をつけるのも忘れて呆気にとられてしまった。
同僚はこちらに一切の視線を向けることなく、スマホをいじっていた。
てっきりAmazonで「現段階で合法的に所持できるベスト武器」の選別をしていると思ったが何か知らないスマホゲーをしていたようだった。
一瞬のち、猛烈な恥ずかしさが僕を襲った。
いや、職場の喫煙室で、いい年した大人がゾンビについて語るなんて恥ずかしいことだと思うよ?
けどさ、そりゃ僕ゾンビ好きだしね、テンションあがっちゃう訳じゃない?
むしろさ、こっちは乗ってあげたと言っても過言じゃないのに返答に愛がないのよ。
僕は一矢報いるべく、よろけた体制からとりあえずフォームだけのアッパーをふるうような弱弱しさで言った。
「って課長が言ってたんだよね。マジウケた」
「えっ?」
ついに同僚がこちらを見た。
僕も同僚を見ていた。
怪訝な顔、というwikipediaの項目があるなら是非、参考画像に載せて欲しいと思えるほど、完璧な怪訝な顔がそこにあった。
そうだろう。僕らの所属するチームにはそもそも課長はいないし(※別のチームにはいる)、何よりマジウケたといいながら僕は真顔だった。僕はこの時ほど自分の能力の低さを恨めしく感じたことはなかった。
「何が、です?」
「えっ、え?」
イルカのように僕の目が自由に泳ぎ回っていた。
…ァーン、トゥー、スリー…
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気づいたら僕はダウンしていた。
開幕直後の奇襲攻撃が完全に裏目に出たのだった。
スポットライトが眩しい。
僕はリングに拳をついて力を入れた。
しかし、つま先に力が入らない。どうも脳が揺れているようだ。
顔をあげると、たかこの姿が見えた。
薄暗い観客席で、たかこのまわりだけが明るく照らされているように見えた。
いや、そんなはずはない。たかこは死んだのだ。
僕はよく見ようと目を凝らした。
あれは、たかこじゃない。ああ、そうだ。まさみだ。
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僕はタバコに火をつけて充分にゆっくり、煙を吸い込んだ。
そして、フーっとそれは長く、長く煙を吐いた。
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「頑張って!立ち上がって!!」
まさみは大声で僕に言った。
この嘘つきが。どのツラ下げて――
僕は心の中でつぶやいた。
しかし、先ほどとは変わって力が漲ってくるような感覚があった。
レフリーがエイトを数える前に僕は再びファイティングポーズをとった。
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果たして、ゾンビが好きで、一人考察を深めることは恥ずかしいことだろうか?
嘘をつくことは常に誤った行いなのだろうか?
色々な面があっていい。
そのすべてを愛せるほど大きいもので包み込んでしまえれば、それでいいのだ。
「ゾンビってさ。大量にいるじゃない?いや、だからそもそもあんな大量にいたらどの武器使っても無理だと思うんだよね。だからね。今のトレンドは逃げる。これね」
僕は一気に捲し立てるように言った。
「…ああ、そうっすか」
フフっと同僚は苦笑いを浮かべると、僕と視線を合わせることなく早々にタバコを消して喫煙室を出て行こうとした。
禁じられた4発目の必殺パンチのモーションに僕はもう、突入していた。