午後、6畳の部屋は薄暗く、僕はソファに本を置く

本ブログはフィクションですが、一部隠し切れない真実を含みます。

2018年大晦日の雑談

さて、年の瀬ですね。ゆっくり過ごせているでしょうか。
僕は年末年始は仕事があるので休みは来年になってからです。お休み方はこの年末年始の貴重な時間を僕の分まで満喫してほしいな、と思います。お仕事の人は、逝くな、生きろ、とだけ伝えておきます。

2018年は僕個人的にはかなり充実した一年間でした。仕事もかなり順調ですし、実は音楽活動をしているんですが、そちらでも今年は大きな成果がありました。
例年以上に仲間と遊んだし、新しい仲間や趣味もできて、いや、なんかすみません。本当によかったことしかないです。父から「自分だけが幸せな話は他人に積極的に話すな」とか言われているので、あまり語らない方がよさそうです。まぁとにかくそれなりの一年でした(嘘)。

このブログについては6月くらいから再開して15、6記事くらい書いたでしょうか。いいペースとは言えないですね。
再開当初は少なくとも週に1回は書こうと思っていたのですが、結局、月に2回くらいしか上げてないですね。
これについては明確に原因があって、一つは前述の通り、私生活が充実しすぎていたことと、このブログに対して私情が混じってきたことです。
どういった私情かというと、自分自身の膿を出そうとしてしまったというか、シリアスな記事を書こうとしてしまった、というものです。
6月から再開して、何度か長期のブランクが発生して
いるのですが、この期間は生み苦しんでいました。
作成していた記事は一応の完成まで至っていますが、結局上げていません。
これじゃまずいということで取り急ぎ、楽しんで書いたものばかりがブログを独占し、結果この一年間(半年)で作成した記事のラインナップはなんか軟派で緩い感じのものになってしまいました。
まぁ、それも僕の一面なので自分的にはよしとしますが。

なぜシリアスを生めなかったのか、これは結局、今の僕が幸せだからなんです。他人から見てどう、とかじゃなくて自分自身の評価としての話です。何も悩んでいないし、問題がおきれば他人の協力を仰ぐという意味でも自分の働きかけで全て解決できる、全て丸く収まってしまうんです。
だから膿とか言うけど別にコンプレックスみたいなものはもう自分自身で納得して吸収して、もう僕を成立させる一部になってしまっているので、それをあえて誰かに向けて話しても迫ってこないんです。テーマが。

浅野いにお先生の多分、ソラニンだったかと思いますが、その中の台詞に「幸せになるのは難しいことじゃない」というものがありました。これはルサンチマンに苦しむ主人公に向けて(たしか)親が言う言葉で、行間を読むと「幸せになりたいだけなら諦めてしまえばいい。他の幸せもある」のような意味だったかと思います。あれ?「幸せは特別なものじゃない」だったかもしれません。やばみ。
まぁほぼ忘れてて説得力皆無ですが、この言葉に出会った当初、僕は驚いたんですよね。え、幸せってそうなん?と。
当時の僕はとにかく頑なに目標を達成することに意義と幸せを見出していたので、言葉の意味はわかるけど、心なし、「達成できなかったやつの言い訳なのでは?」とも思っていました。
今時点の僕の見解は、「志すことは100%必要。しかし目標の達成が目的になってはいけない」です。つまり、目標の達成は必ずしも幸せではありません。浅野いにお先生の言葉は正しかったと思います。

しかし、例えばタイムマシンが完成して、今の僕が過去の僕にこの件を伝えたとしても多分過去の僕は納得しないんです。確かに過去の僕もこの言葉にひっかかりはしたんですが、その真偽がついていませんでした。それは百聞は一見にしかず、みたいなもので、とにかく経験しないとわかならないと思います。
当時の僕は僕で精一杯で余裕がなくて達成に執着しないと足場が瓦解してしまうような事情もあったのだと思いますが。

話しが大きく戻るんですが、シリアス記事についてはそういう部分がありました。
僕はその話をすることで何をしたいのか、少なくとも僕と同じような状況にある人がいるなら救いにならなくても一助にはなればいい。そう思って書いていたんですが、読み返してみると圧倒的に足りないと感じました。そう、経験が、です。
いくら言葉で、論理で説明しても経験しないとわからないんです。
どうすればいいのか、この半年、方法を探っていたんですが、先日書いた「もしもあの頃に戻れたら」で光が見えました。

自分で言うとミサワっぽいですが、僕、結構忙しいのでブログはタバコを吸うときとか、移動中とかの空き時間にしか書きません。このせいで一旦下書きに残してちまちま途絶しながら書いているんですが、「もしもあの頃に戻れたら」はシリアスな内容なので嘘にならないよう、僕も当時の僕になりきって書いていました。完璧に幸せな日常の中に、不安定に揺れていた過去の僕が度々トレースされる、これがとても苦しかったんです。
そして完成したんですが、それからしばらく不安定なまま虚ろな日々を過ごしました。

村上春樹先生が読者の質問に答えるイベントが数年前にありましたが、確かそこで、「読書は必要ですか?」という問い対して「必要はないけど、物語は救いになる場合がある」というような答えを返されていました。

僕はそれを思い出して、あ、それだ、と納得しました。
物語で擬似的に経験してもらえれば真意が伝わるのではないか。
僕が過去の自分を追体験したようなことを物語によって補完できるのではないか。

と、いうようなことから2019年は私小説をやってみようと思います。中学と高校時代の荒削りで繊細で不完全な失敗と成功の物語を。
軽くプロットを練りましたが、多分20個くらいになると思うので1年を通してやります。
シリーズものですが、1話でテーマは完結させるつもりです。なのでどこから読んでもいいようにはしたいです。

あと、物語中の時系列とアップする順はバラバラにしようと思っています。
当たり前に手にしているそのものが実はとんでもないものだった、みたいな感じを演出したいです。
なので時系列はバラバラでもアップ順に読んで欲しいです。
詳しくは第一弾をあげる前にまた説明します。
ちょっと準備をしたいので2月頃を予定します。

あ、これまでの上辺を撫で回すような記事も引き続きやります。続き物と単発が混在するような形でいくつもりです。なのでタイトルとかで区別できるようにした方がいいですね。

 

2018年に作成した記事で僕が一番気に入っているのは「ハゲによるルックスの低下を防ぐ~」です。
単純にネタが面白いですよね。楽しみながら書けました。心残りは父から27歳でハゲ始めたことを聞いて、ロバートジョンソンの話までしたのに、なぜ「父の毛根はロックスターだった説」のオチを絡めなかったのか、ということです。兄ちゃんオチは読み返すとちょっと弱いかなーと思いました。
ハゲネタが楽しすぎて2作目まで書いちゃいました。てへぺろ
多分3作目も近いと思います。

 

読んで欲しいのは「もしもあの頃に戻れたら」です。長いですが、苦しんで書いたので読んで欲しいです。僕のブログを楽しみにしてくれているリアルの友人がいるのですが、そいつに「隣の席に不美人~と、これどっちがよかった?」と聞いたら「もしもあの頃に戻れたら」と言ったので、手応えあったんですけどね。そいつ、あんまり本読まないらしいです。まぁ読書家層のウケを狙ったわけではないですが。

 

論理オチ系の記事は2019年も引き続き研究します。おもしろいものを作ってみせます。

 

2019年からはブログ用のツイッターを始めようと思っていましたが、ちょっと保留にします。
ストーリーものを根つめてやってみたいです。
それがひと段落したらツイッターもやるつもりなのでその際はよろしくお願いします。

 

とりあえずそんなところです。
この間テレビ見てたらやけに平成最後ってフレーズが押されててなんか僕も気が引き締まるような気がしたんですが、よくよく考えたら毎日、僕の命が最後である可能性もあるので、やっぱりいつでも心の炎は燃やしておくべきだと思い直しました。
情熱って一回冷めるとまた火を点けるのって大変なんですよね。
頑張ろうって思うと途端にやる気がなくなったりしますが、楽しもうと思ったら意外とできたりするので休みだからといって怠惰に過ごさず、せっかくの機会を楽しんで過ごしてください。
それではよいお年を。