午後、6畳の部屋は薄暗く、僕はソファに本を置く

本ブログはフィクションですが、一部隠し切れない真実を含みます。

天才と恋について

恋の正体が、多くの場合性欲であることは疑いようがないと思っていた。

当時まだ恋人だった妻に、ヘンリーダーガーの作品世界について説明している時に(もちろん聞いてない)、ごく当然の事として、「ほら、恋って結局性欲じゃん?」のようなニュアンスで話したところ、大顰蹙を喰らったことがある。

 

彼女の主張としては「とにかくキモい」とのことで、理由は「とにかくキモいから」とのことだった。

 

え、違うの?と僕は思った。多くの人が恋を思春期に経験することや、その感情がもたらす終着的行為を考えるとそうとしか思えない。

 

おそらく彼女がそうなってしまったのは、彼女の中にある感覚を否定されたように感じたか、単純に僕がキモいかのどちらかではあると思うが、僕がその時言いたかったのは、個人の感覚の話ではなく、もう少し俯瞰して全体を見たときの傾向の話である。

 

しかし、何を言っても聞き入れてもらえず、逆に僕も自分が間違えているかもしれない、と不安になり、この件についてググってみた。

 

すると本テーマが全世界的にトラブルを生んでおり、特に恋愛上では何があっても取り上げてはいけない題材だったことがわかった。

 

そして、さらに僕の主張が誤っていることもわかった。

 

否定派の意見を中心に見ていたのだがその中の1つに「恋は性欲起源ではなく、交配への本能的エネルギーから」という言葉があり、あ、それや、と思った。

 

性欲と交配への本能は似ているが違う。言われたら確かに納得できる。

第一階層に交配への本能があるとしたら、第二階層に、恋(恋愛欲求)や性欲がいるということだろう。

ムラムラするのは性欲からだが、ムラムラしたからと言って必ずしもその対象に恋する訳ではない。

これは目玉焼きという料理を存在させるために卵があるのではなく、卵があるために目玉焼きやスクランブルエッグが生まれた、という事に似ている。

交配への本能があるから、恋や性欲という欲求が生まれた。つまりそういう事だ。

 

僕は、完全に納得したし、新しい知見を手に入れたと思い、ノリノリで彼女に報告しようしたところで、やっと気づいた。

 

詰んだ、と。

 

 

彼女の否定的姿勢はおそらく自分自身の経験から来ているものと推測される。彼女が今まで感じた恋心と性欲は一致しなかった、という事だろう。

 

と、すると彼女の逆を取れば、僕は性欲と恋心が一致している、ということになる。つまりムラムラした瞬間、赤い実はじけた、となり、私という恋人がありながら浮気するなんて、が、成立する。

 

また、そのあたりの誤解を紐解くには僕自身のムラムラについて説明する必要が出てくるだろうが、それは避けたい。ろくな事にならない。

 

さらに彼女には、あの恋さんと性欲が同じ階で働いているなんて言い出せない程度には恋が神格化されているような向きも見られた。

 

と、すると、この理論自体納得しないかもしれない。僕がこれから論じようとしているのは、結局、恋は身体目的、ということである。

 

つまり、僕たちがこの件についての解答らしきものを話し合いによって共有する筋は完全に死んでいた。

 

何か手はないだろうか。

僕は考えた。

小さい頃から口だけは達者、果ては詐欺師か弁護士かと言われた僕である。必ず乗り越えられるはずだ。

 

彼女を見る。

こういう時、まずは現状の正しい把握が重要だ。

どうしても僕というポジションからのバイアスがかかってしまいがちだが、これをできる限り除外してもう一度フラットに観察するのだ。

 

そしてすぐに妙案が浮かんだ。

かなり苦しいかもしれないが、きっと僕ならできる。

 

「この世には、0を1にする人と、1を10にする人と、10を5と3と2などに分解する人がいる。これは必ずしもどれか1つの特徴がある、と言うわけではなくて、満遍なくどの作業もうまくできる人もいるし、どれかだけ、の人もいる。

と、すると僕は分解もできるし、効率よく作業もできる。つまり、1から10も10の要素の分析もできるっていうことだね。

だけど0から1は得意じゃない。何もないとこから何かを生み出すことはできないし、それをしている人達がどういう思考回路でそんな事ができているのか理解もできない。だからこそなのかもしれないけど僕はそれに強く憧れる。

人類の割合としても0から1の人は少ないんじゃないかな、と思うよ。程度の差はあれどそういう人達を天才と呼んでもいいと僕は思ってる。

君はどちらかというとそちら側に属する人間だよね。

誰も思いつかない発想で問題を解決するし、色んなものを作ったり楽しんだりできる。

0から1、つまり無から有を生む事ができる」

 

掴みは上々だ。またなんか言ってる、という顔ながらも黙って僕の話を聞いているのがその証拠だ。

 

「では僕のような凡才が天才になるためにはどうしたらよいか?

それについては天才が何なのか知る必要があると思う。

 

歴史上に名を残す天才達にはある共通する特徴が見られるのを君は知っているだろうか。

必ずしもそう、という訳でもないけど、精神薄弱だったり、非常識だったり、作品以外は人間的にクズって言われることもあるんだ。

これは君がそうだって言ってる訳じゃないよ?あくまで歴史上の天才達の話。

 

天才と評されるためには独自性が大切なんだけど、そういう風に普通とは異なるポジションからその物事を見ているということは、他にはない発想や作品世界を生んでいることと、どうしても因果関係があるように思えてならない。

 

また、その物事の生産性を上げたり、精度を高めるため、つまり噛み砕いて言うと、上手になるためには、単純に長い時間をその物事に捧げる必要がある。これは作業を行っている時間だけを指すのではなく、その物事について考えたり、アイディアが降りてくるのを待っている時間も含まれる。

 

これらのことから天才になるためには、誰もいないポジションでその物事を見て、人生のほとんどの時間をそれに費やせばいいと思われるんだけど、ぼくら凡人にはそれが出来ない。

 

ヒトっていう生き物は社会性を作るっていう特徴を持っているから、僕らは常に何かに所属して、誰かと共有して、生活しようとしている。ヒトである以上それが当然なんだ。

自由になりたいって言う人もいるけど、結局はなんだかよくわからない属性を纏って落ち着いていたりするだろ?

完全な自由は僕らの手に余るし、誰もいない場所に、それこそ人生の時間をかけて長居したりできないんだよ。

 

だとすると、歴史に名を残すほどの天才になるのはあまりに失うものが多すぎる。そもそもそうしたからと言って必ずしも評価されるわけでもないし。

 

天才って非効率。コスパ悪い。

 

僕としてはもっと手軽に天才になりたい。常に天才じゃなくてよくて、日曜の14時くらいからイッテQ始まるくらいまで天才であればいい。

 

それに、そもそも俗世にいても凄いことをできる人はたくさんいるし、逆に特殊な位置にいてもそうじゃない人もいる。

 

この違いは何か。これは結局、やる気なんだよね。

 

どんなに素晴らしいエンジンが載っていても、ガソリンがなければ動かないように、才能があっても舞台にあがらなければ輝かないし、才能がなくても、やり続けてさえいれば、相対的に上手くはなる訳だ。

 

やる気というエネルギーを発掘出来れば、ガチの天才じゃなくても、そこそこにはなる可能性がある。

 

ならば、とやる気の埋蔵地点を掘削するんだけど、僕の場合、公園の水飲み場の水道くらいの勢いしかないし、そもそも埋蔵量も少なくてすぐに枯渇する。

好きな事であれば持続するけど、そのエネルギーは好きな事にしか向かない、その他に流用する事ができない指向型エネルギーなんだ。

 

やる気がなくてもとりあえずやっているうちにやる気が出てくるとか言うし、それは事実かも知れないけど、そもそもちょっとやる、やる気がもうない」

 

 

理論の正誤ではない、連想ゲームのように言葉尻を捕まえてテーマを連鎖させていく。少し、突拍子もないだろう。しかし、ここまできたら走りきるしかない。

 

 

「そこで恋だ。

恋は無限のエネルギーなんだ。

恋をすると人は無意味な事や後から考えると恥ずかしくなるような事だってなんでもしてしまう。

恋は芸術を生む、なんて言われるけど、実際のところは溢れ出たエネルギーが転換されたでけで、仕事だって、未知の生物からの地球防衛だって恋をしていたから上手くいった、なんて話はよく聞くじゃないか。まぁそれは映画の話だけど。

 

つまり、恋から生まれるエネルギーは転用が可能、なんじゃないか?

思い通りにならなければならないほど、胸をかき乱して、転用可能なエネルギーがプールされるのでは?」

 

あと少し。次で終わりだ。

 

「だから僕は報われない恋をすべきだと思うんだ。

 

僕は君に永遠に恋をすることを誓うから、僕の恋人である君には、どうか僕の思い通りになんかならないでいてほしい。いつも可憐で、僕のことなんか一切意に介さず、君の思うように生きていてほしい」

 

こうして僕は思い描いたゴールを踏んだ。

作戦としてはとりあえず思いがけないテーマについて話し、あーだこーだ言ってるうちに元のテーマに戻ってきたと見せかけて、実は論点がズレている、というものだ。かなり苦しいがおそらく彼女には通るだろう。

 

そして彼女は言った。

 

「え、なにそれ。意味わかんない。プロポーズ?」

 

「え、あ。そうだね」

 

所謂、恋愛上で、永遠や、誓う、という言葉を安易に用いてはならないという好事例である。

 

彼女としてはプロポーズ(※違う)が気に食わなかったそうで、後日、プロポーズのやり直しを命じられた。